川上八十太理学博士が、技術相談、受託研究を目的に川上研究所を創業した当初は、今でいうベンチャービジネスのようなもので、中小化学会社のテクニカルアドバイザーをしながら、油脂を使った高圧の水素添加や、触媒や加工品を作ったりしていました。この頃から、油脂界面化学と触媒化学を両輪として、技術と研究を業務の柱とした事業は、法人化と改名を経ながら、現在のライフ事業部とファイン事業部にまで、連綿と受け継がれている当社の伝統です。
そんな会社の歴史から生まれた、当社独特の用語で「文転」というのがあります。社員の9割弱は、理系の出身者で占められているので、管理部門などの仕事も理系出身者にお鉢が回ってくる、そういうときに使われます。
それと、「ファインケミカル」ということばを日本で初めて社名につけたのも、ささやかなじまんでしょうか。当時はまだ「精密科学」とか呼んでいたりして、時計じゃあるまいしという感じでした。今ではなんの不思議もありませんが、この社名が制定されたのが、1964(昭和39)年だということを理解していただけると、じまんの甲斐もあります。
川上記念研究所(A)をつくったのも、社内の若い人の発明、発見、改善を表彰する川上記念賞(B)ができたのも、ちょうどその頃のことです。いずれも、技術研究を重視する創業の精神を受け継いで、常にその初心に帰ることを形にしたものなのです。
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工場が福井と静岡と埼玉にあるのですが、それぞれクラブ活動も盛んです。なかでも、工場と事業所がある埼玉では、そばにグランドがあって、ジョギングクラブの活動がユニークです。部員は20名くらいですが、「川研JC」のユニフォームを着て、いろいろなマラソンや駅伝の大会に出て、記録を競っている人もいます。速い人で陸連登録が可能な人も、そうでない人も、応援やサポートも含めて、それぞれが自分のペースで“走ることを楽しむ”のが基本のクラブ活動(c)です。
「東京マラソン」ですか? 今年は10数人申し込みましたが、全員抽選にはずれてしまいました。(取締役経営推進室長 酒井正一郎さん・人財グループ課長代理 田中祐子さん 談)
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