カネヨといえばクレンザー…そうみなさんから言っていただけるのは、1933(昭和8)年に磨き砂に石鹸分を配合した国産第一号の「カネヨクレンザー」を発売して以来、昭和の台所には欠くことのできない商品に成長してきた、長い歴史のおかげでしょう。
競合商品も数多く生まれ、昭和30年代の一時期には100種を超えるほどでした。その間、発売以来のパッケージ・デザインも、途中で和装の女性を洋装に変えたくらいで、カラーもロゴもほとんど変えていません。
NHK朝の人気連続ドラマでも、昭和30年代の台所の小道具として使われました。「カネヨクレンザー」のロゴとデザインは、昭和レトロシリーズという、懐かしグッズの仲間入りをしています(A)。ホーロー看板からTシャツ、ストラップやキーホルダー、そしてエプロンまで、昭和レトロシリーズのグッズは、お台場のショップなどで、年配の人にも若い人にも人気のようです。
クレンザーの重要な原料であるクレイ(白土)と呼ばれる火山灰粘土層は貴重なものですが、その原料産出地と生産拠点を直結する山形工場ができたのは、1972(昭和47)年のことでした。山形新幹線に乗ったとき越えなければならないのが板谷峠ですが、その板谷に工場を建てて原料の調達の便をはかることで、その後もクレンザーの製造において、優位な立場を維持することができました。
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実は、クレンザーのパッケージをデザインしていただいたデザイナーさんも、板谷の原料提供元も、親子二世代にわたるおつきあいをいただいているのです。そうそう、工場にも親子揃って現役で勤務している人が何組かあるんですよ(B)。長く続いているのは、商品だけでなく、そうした人の縁と輪もあると、じまんできるでしょうか。
1983(昭和58)年にできた埼玉工場では、その敷地の一部を利用して、工場OBの人々がみごとな菜園をつくっていたり(C)、玄関にはいつも出入りの取引先の方々が花などを置いてくださっているのです。これも、ちょっとほかにはないユニークな光景でしょうね。
それもこれも、人との縁を大切にしてきたカネヨのいいところであるかも知れません。(取締役統括部長 鈴木佐知子さん 談)
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