東京都荒川区東尾久7丁目といっても、すぐにわかる人は少ないでしょうが、最近新たに開通した新交通システム日暮里舎人(にっぽりとねり)線が、隅田川と荒川を越えるところといえば、あるいはわかっていただけるでしょうか。目の前を隅田川が流れ、その向こうにはすぐ荒川が並行していて、二つの川が最も接近しているところでもあります。
1917(大正6)年の会社設立、翌年に尾久工場としてここで苛性ソーダの国産を進めるという使命をおって操業を開始した、まさにわが社の発祥の地なのです。それも元はといえば、船で運んできた原料の陸揚げに便利な立地だったからです。もっとも、これは多くの化学会社に共通した理由かもしれませんね。
1970年代に、敷地の大部分を東京都に買い上げていただき、工場は地方に移転し、本社だけはいったん都心へ移ったのですが、2006(平成18)年に社名も新たに本社ビルを建設して、創業の地に帰ってきたのです。これ、「ウチのぷちじまん」になりませんかね。
この本社は、エレベーターや水回りなどを共用部に集め、正方形のオフィスからは360度近い眺望も確保するなど、いろいろ細部にもこだわっています。
あ、これですか。(↑)これは旧尾久工場を支えていた基礎杭なんです。本社ビル建設工事に伴って80年ほど前のこんな木杭が286本も掘り起こされたので、ここ1Fロビー脇に記念に展示しています。その他の歴史的展示物のスペースも2Fに設けました。
ここは、東側は公園など空地も広がっていますが、西には住宅街も控えています。“でかいビルだけどなにやってる会社だろう”というのでは困るので、地元との交流にも力を入れています。化学と食品という結びつきからなにかできないかと考えて始めた、小学生と親ごさんを招いてのお菓子づくり教室も、好評を得ています。(総務・広報グループ 菊池永敏さん 談)
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