工業会には、社長になる前から理事代理として顔を出していましたから、もう30年のおつきあいです。1997年に工場が全焼してしまって、新しい工場は作らずに企画だけでやっていこうかとの案もあった時、工業会の元会長から声をかけられて「煙突のないメーカーはダメだよ、あとで足腰弱くなるよ」なんて言われたことがありました。そして新工場は建てたものの、しばらくは注文も少なく苦しい時期が続きました。それから、泥炭石(洗顔石鹸)があたって…。
「隠すより 洗ってみては、いかがでしょう?」これは、最近の泥炭石の広告コピーですが、うちの社員が考えました。プロのコピーライターを呼んで社内で勉強会をやったりしながら、泥炭石だけでもそうとう広告をつくっています。僕は、はじめに入社したのが広告代理店でしたので、こうしたクリエイティブの部分はわりと好きですね。
代理店時代には、営業や、社内外の人脈作りの仕事を10年ほどやって、色々な勉強ができました。家内と出会ったのもその頃です。また、元伊藤忠商事の瀬島龍三氏を囲む会で、事務局を担当していたこともありました。
「結縁、尊縁、随縁」という言葉のように…縁を結んだら、その縁を尊び、その縁に従っていくという意味ですが、人間関係を大切にしています。夜や休日も、一人でいることはほとんどありません。そのくらい人と会っている。今は、母校の慶應義塾高校の同窓会誌の編集長もやっています。読み応えのある誌面にするべく、たとえば最新号では、5つある高校の校長達による座談会をセッティングし、慶應の一貫教育について論じていただきました。そのほか、幹事役の「尋牛会」では丑年生まれの経営者仲間や友人との交流もあります。会の幹事などはいくつも引き受けていて、なぜかそういうお役が先輩からまわってくる。頼みやすいのかわかりませんが、まぁ、マメなんでしょうね。
社内では、なるべく階層をなくして、若い女性社員も僕に直接アイディアを言える、すぐ商品ができる体制にしています。商品の半分はOEMですが、まず自社で企画してから外へ提案します。いいものができるように、社員それぞれの個性からうまく引き出してやることも必要。個人の個性を活かす経営というのかな、それを信条にしているんです。 |