DXの取り組みは課題解決の手段
〜デジタル技術で業務変革を起こす試み〜
DX(デジタルトランスフォーメーション)は、ICT(情報通信技術)やAI(人工知能)などのデジタル技術で、社会や企業の活動を“変革”することです。2018年から経済産業省が「DXレポート」を発行し、産業界全体でDX推進の機運が高まりました。
ただ、DXの捉え方は企業によっても違います。そこで当工業会会員社のライオン(株)の事例を紹介します。2019年に研究開発本部にてデータサイエンス室を立ち上げ、2021年からDX推進部 部長を務める、黒川 博史さんにお話をうかがいました。
◆事業を進化させるため、DXやデジタル活用を推進
ライオン(株)は長期にわたって、口腔科学の研究データや従業員の歯科検診データ、オーラルケア領域の知見を多数蓄積してきました。今後は、口腔から全身の健康を考える“オーラルヘルスケア”へと事業を進化させ、新しい製品やサービスを提供していくビジョンがあります。そのためにDXに取り組み、デジタル技術を活用しています。
◆“社内データ× AI”で業務を変革する
下図[A][B]は、2019年頃から始めたAI活用の事例です。
[A]は、歯ブラシの開発に時間がかかるという課題があり、狙った毛の硬さにするために職人技で試作品をいくつも作っていた工程を簡素化することが目的でした。そこで、“過去の歯ブラシの仕様データ”と“毛の硬さを予測するAI”をかけ合わせ、数日かかっていた工程を約1時間まで短縮することに成功しました。
[B]は、製品の香りを調合するフレーバリストが一人前になるまで、10年はかかることに着目しました。技術の伝承と若手の育成をAIでやろうと考え、“熟達者の思考を真似できる機械学習システム※”を作りました。AIが提案する調香レシピを参考にした結果、若手は試作回数が少なくなり、熟達フレーバリストは新たな気づきを得られました。
このように、デジタル技術を使って課題を解決し、業務変革を起こすことを目的として、DXを推進してきました。
◆DXを推進するポイントは人材・環境・課題設定
当社では、社内の数学や統計に強い人材をデータサイエンティストとして育成していますが、そのハードルは思ったよりも高くありませんでした。私も油脂の基礎研究者だったので、「この業界で使われているアルゴリズムと、うちのデータをかけ合わせたら、こう使えるのでは?」と発想しながら試行錯誤してきました。技術的に難易度が高いところは、社外の副業やフリーランスのデータサイエンティストに協力を仰いで解決しています。他に、データ分析に適したパソコンや作業場所を用意する、などの環境づくりも大切ですが、人材と環境以上に大切なのが、課題設定です。
◆デジタル技術は課題解決の手段で、目的ではない
現状の課題や、目指すゴールが見えないままDXを進めると、手段であるデジタルツールが目的化してしまいます。実際に、取り組み初期には「AIで何かできないか?」とよく聞かれました。そのたびに「AIで何を実現したい?」と問い直し、デジタル技術を使う目的=課題の探索へとマインドを変えていくことが必要でした。
◆AIは天気予報のようなもの、意思決定は人がする
また、AIは天気予報と一緒で、過去の天気のデータがあれば、明日の天気の予測ができます。「AIは予測精度80%以上でないと使えない」という意見もありますが、天気予報を聞いて、傘を持っていくのかいかないのか、意思決定をするのは人間です。ある人は「洗濯物をうまく干す方法を提案しよう」と、新たな仕事を思いつくかもしれません。
そのため、現状把握から始めて、製品の開発精度が40%ならそれをAIで60%にしよう、などと課題とゴールを設定することが大事です。担当者としては、各部署の社員が何に困っていて、どうしたらかゆいところに手が届くのか、一緒に考え、人の課題とAIとをつなごうと心がけています。
◆DXで人のやる事を“変革”し、事業を進化させる
DXに取り組み、業務変革を起こすと人の作業時間は減り、今までなかった価値について考えられるようになります。人はAIで仕事が無くなるのではなく、やる事を変えていくのです。また、より早く次の打ち手がわかるので、新製品やサービスの提案は広がります。さらに今後は、歯科医院や大学の研究者などとの協業もすすめていくと、“オーラルヘルスケア”という新しい世界が見えてくると考えています。
●DXとは? デジタルトランスフォーメーション
Digital X(trans)-formation
DXは下図 ※のように、大きく3段階に分けることができます。既存のプロセスや考えをデジタルに置き換えるだけではなく、蝶が変態(トランスフォーメーション)で姿を変えるように、“変革する”ことがポイントとなります。ただし具体的には、組織や業種によって取り組むことや、それに着手する順番は異なります。
※イメージ図は次の資料を元に当工業会にて作成。(1) 経済産業省『DXレポート2 中間取りまとめ(概要)』、(2) 『#シン・トセイ 都政の構造改革推進チーム(東京都 公式)』の note 2020年10月9日の記事。