新しい「リスクコミュニケーション」
の形と「リスク教育」の実践
〜化学物質のリスク情報を共有するコミュニケーションのあり方〜
すべての化学物質にはなにかしらの有害性(ハザード)がありますが、リスクを理解して適切に管理すれば、安全に生活に役立てることができます。消費者用製品については、関係者間で正しいリスク情報を共有することが重要といえるでしょう。
最新のリスクコミュニケーションのあり方に学ぶため、化学物質を扱う工場と地域との対話の現場を数多くサポートし、 大学でも講義をされているNITEの竹田 宜人さんにお話をうかがいました。
独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)化学物質管理センター 調査官
横浜国立大学環境情報研究院 客員准教授
竹田 宜人 さん
NITE(ナイト)の化学物質管理センターは、国内の化学物質をリスクの観点から評価・審査し、その情報を法律と照会し関係者間で共有することで、化管法などによる「化学物質の自主管理の促進」に貢献しています。
●"化学物質"と聞くだけで顔をしかめる人がいます。リスクは存在するけれど正しい使い方をすれば大丈夫、と伝えたくても"伝わらない"ときの問題点は何でしょうか?
私が専門としているのは、化学物質を扱う工場と地域住民との対話です。日本各地で住民、市民、消費者のみなさんと話をしてきた経験から、様々なリスクに対して、“嫌だな”と思う人の気持ちには、背景があると思っています。2011年に東日本大震災が起こる前は、住民のみなさんの質問はダイオキシンや環境ホルモンなどに集中していました。しかし震災後は、工場の爆発火災などを想定した防災に関する質問がほとんどです。つまり、人々が怖いな、これは危ないな、と感じる対象は時代や関心事によって変わります。そうした人々の関心事を無視してリスクコミュニケーション(以下、リスコミと略記)をしようとしても、うまくいかないことがわかってきました。
一般的に、化学物質のリスクは「ハザード(有害性)×暴露(摂取する量)」から科学的に計算します。昔のリスコミの考え方は、行政や企業がリスク評価結果を公表して、あとは住民や消費者に合理的に判断してほしい、というものでした。リスコミと言っても一方向のコミュニケーションであったので、徐々に、そのやり方だと伝わらないぞと思う人も出てきました。2001年にはBSE問題の風評被害も起き、このような問題を契機に、どうやら人は科学的な情報だけをもらっても合理的にはなかなか考えられないらしい、という認識が広まっていきました。
そこで近年、一般化してきたのがリスクガバナンスという概念です(図1)。従来の「科学的な評価」と、人の想いを汲む「関心事の評価」の両輪で評価することや、概念の中心にコミュニケーションがあることが特徴で、今はこれがリスコミの世界的な潮流となっています。
●リスクガバナンスのポイントを教えてください。
リスクガバナンスはリスクの管理についての総合的な考え方で、図で示した枠組の中のすべての行為における対話がリスクコミュニケーションとなります。
たとえば、何かのリスクを規制する基準をつくるとき、リスク評価の数値をそのまま基準値にすることはまずありません。世の中の関心事でもある経済的影響などを考慮して、ここまでは厳しくできる、これ以上はできない、と関係者が一緒に考え、対話して落としどころを決めます。その一連の作業がリスクガバナンスなのです。
また、2015年に世界的に合意されたSDGs(持続可能な開発目標)に「誰一人として取り残さない」という目標がありますが、あれはリスクガバナンスの考え方にかなり近いと感じます。というのも、日頃から化学物質のリスクが気になるという人は全体の2割程度で、不安の声をあげるなどのアクションを起こす人はもっと少なく、数%だと考えられています。その少数派の人の気持ちも見過ごさないように、リスクガバナンスではできるだけ最初の段階から仲間に入ってもらい、時間をかけて対話することを大切にしています。
●当工業会では洗剤類の安全性やリスクの啓発を行なっています。消費財のリスコミにおける注意点は?
消費財も色々で、手に持つ文房具と口に入れる食品ではリスクの種類も対応も変わってきます。そのうえで1つ言えるのは、「リスコミ」の場と「リスク教育」の場ははっきり分けるべきだ、ということです。たとえば洗剤類の場合は、生産工場と周辺住民が災害時の対応について話し合うのはリスコミとして行ないますが、洗剤類の誤使用を防ぐ正しい使い方の啓発や、事故を予防する注意表示の説明などは、リスク教育としてやるべきです。
リスコミと、リスク教育の大きな違いは、対話によって結論が変わる余地があるかないか、という点です。洗剤類はこう使うのが正しいという結論は、科学的に決まっていて、そこを変える必要はありません。リスク教育の場を設けて、「この製品はこうして使えば安全だし、こんなベネフィットもありますよ」とストレートに説明したほうが伝えたいことが伝わります。企業などのリスコミ担当者は、対話が必要なことと、教育が必要なことをはっきり区別して、混同しないことが重要ですね。
●リスク教育の際、“リスクゼロ”の物は世の中に存在しないという基本を理解してもらう難しさを感じます。リスクに対する理解を広めるにはどうしたらよいと思われますか?
化学物質のリスコミを専門的に扱う人は国内にわずかしかいませんし、私も含めてみなさん悩みながらやっています。リスクには不確実性があり、受け止める側には個人差もあります。どれだけ説明しても、化学物質を“なんとなく怖い”と思うことを変えられない人もいます。
そうした大前提のなかで、落としどころを決める必要があるときは、結局みんなで一緒に考えるしかありません。大事なのは、なるべく少人数で対話して耳を傾け、相手が何に不安を感じていて何を知りたいのか知ることです。関心事は一人ひとり違うので、大人数に向けて「安心してください」と言っても、不安は減らせません。
また、専門家は「こんな難しい話をしても伝わらない」と決めつけがちですが、はしょって簡単に説明するのは逆効果です。相手の知りたい気持ちを十分に満たすことが、対話がうまくいく秘訣だと思います。
私が思うに、リスクには不確実性や個人差があるからこそ、立場の違う人々がお互いに譲り合う必要があるのです。そうした基本的なリスクの概念を理解した人は、リスクコミュニケーションの場にも入っていきやすいはずです。しかし現状は、学校でリスクについて教わる機会はあまりありません。今後は、リスクの概念を教えていくことも大切だと感じています。
流通している化学物質は約10万種類ともいわれます。環境中への排出量を集計したPRTR制度のデータの公表や、人や生物に悪影響を及ぼす可能性を予測する「リスク評価」の実施など、省庁と連携して安全管理を推進しています。
MRSAなどの耐性菌や、科学者が研究に使用する細菌のDNAの塩基配列を調査したり、貴重な生物遺伝資源である菌を数万株保存してデーターベース化。微生物を安全に産業に活かす手助けをしています。
ダイオキシン類の測定も、商店の量り売りも、計量法や世界標準に適合した信頼できる計量機器が必要です。信頼性確保のため、さまざまな規格基準の試験を行なう事業者に対する審査・認定を行ないます。