香りから広がるイマジネーション『香りをつくる仕事』
〜香りと上手に付き合うために、香りのことを知ろう〜
人は古来から香水やお香などをつくり、“香り”のある暮らしを楽しんできました。現代では、香料メーカーのつくり出す香りが、加工食品や飲料のおいしさを高めたり、日用品の価値を向上させたりする目的で利用されています。
香料メーカーの高砂香料工業(株)を訪れ、「香りの作り手」として活躍する調香師(パフューマー)の長澤 徹哉さんにお話をうかがいました。
高砂香料工業株式会社 研究開発本部
フレグランス研究所 創香研究部 調香師・理学博士
長澤 徹哉 さん
◆高砂香料工業株式会社:フレーバー(食品香料)部門、フレグランス(香粧品香料)部門、香料の元になる原料を開発する部門、香料技術を医薬品などに活かすファンケミカル部門の計4事業を軸に国内外で事業を展開。当工業会の賛助会員会社でもあります。
●いにしえの人も楽しんだ香りのある暮らし
長澤さんが香りの世界や、調香師の仕事に興味を持ったきっかけはなんですか?
もともと香水の香りが好きで、学生の頃からよく使っていました。香水を好きになったのは、「今日はこの香りを付けていて良いことがあったな」といった成功体験があったからかもしれません。人は香りをかぐと、昔の出来事や、好きだった人のことを思い出して、懐かしい気持ちになったりもします。香りには、そんなふうに人を良い気分にさせる力が間違いなくあると思います。
世界的には、人々が香りを楽しんできた歴史が5000年以上あるといわれています。クレオパトラもエッセンシャルオイルを使っていたように、自分の好きな香りを楽しみつつ個性をアピールする、という文化は大昔からありました。また、仏教では供養のために沈香や白檀の香木が使われるなど、香りは、儀式にもかかせないものでした。人々が香りを使う理由としては、嫌なにおいをマスキングして隠したいという意図もあったかもしれません。しかしそれだけではなく、気持ちが落ちつくとか、純粋な楽しみがあったからこそ、現代まで香りを楽しむ文化が残っているのだろうと思います。
◆古代エジプトのコア・ガラス香油壺※
(紀元前6〜5世紀・高さ6.8cm)香油を入れた壺に紐を通し、ネックレスのように首から下げて使っていた。
◆鶴蒔絵香枕※
(江戸時代・高さ12cm)平安時代から使われていたという、髪に香りを移すための香枕。
◆日本の寺院などで使われていた香時計※
(明治時代・高さ45.5cm)抹香(粉末のお香)を焚き、燃え尽きた長さで時間を計ることができる。時香盤とも。
※写真提供:高砂香料工業(株)「高砂コレクション®」より
●日本人は優しい香りが好き?
香りの嗜好は国や地域によっても異なるといわれていますが、日本と海外との違いは感じますか?
まず、海外に行くと街中に漂っているいろいろなにおいを感じます。一方、日本の街は清潔で、いやなにおいはあまりしませんが、湿度が高いので、香りがすると際立ちやすい環境だと思います。
日用品の香りについても、国によって傾向があります。アメリカではメロンに似た甘い香りが好まれます。ヨーロッパと日本は香りの好みが似ていますが、海外のほうが日用品の香りの幅が広く、面白い香りを好むユーザーも多いのではないかと思います。日本では、ほとんどのシャンプーがフルーティフローラル系に分類できるように、香りの幅はあまり広くはありませんが、香りの質はとても高いです。
以前、海外にいる調香師に日本製品向けの香りを提案してもらったことがあるのですが、どうも「日本人は優しい香りが好き」と思われているようで、ただ優しいだけのモヤモヤした香りになってしまう傾向がありました。日本で好まれる香りのさじ加減は、日本で生活していないとピンとこないところがあります。これも、国や地域それぞれに異なる香りの文化が根付いているということでしょう。
●香りが製品のパフォーマンスを高めている
どんな香りをどのようにつくっているのか教えてください。
香料には、飲料や食品向けのフレーバーと、香水や化粧品などの日用品向けのフレグランスがあります。私はフレグランス研究所の調香師なので、おもに室内用の芳香剤や、シャンプーや洗剤類、化粧品などに使う香りを設計しています。フレグランスのなかでも、香水はファインフレグランスと呼ばれていて、当社ではパリなどの海外事業所にいる調香師が専任することが多いですね。
香りの設計をするときは、はじめに製品の特徴やターゲットとなる消費者の嗜好をよく理解して、そのパフォーマンスを高めるような香りを考えています。製品の香りというのは、機能を表現している部分があります。つまり、シャンプーの場合は髪のしっとり感を香りでも表現しますし、洗剤の場合はきちんと洗えたよ、清潔になったよというサインになるような香りをつくることを大切にしています。それからもちろん、製品に配合する成分としての安全性や安定性などの諸条件を考慮することも重要です。
1つの香りをつくるのに必要な香料はだいたい40〜60種類です。当社で揃えている1000種類ほどの香料素材から必要なものを選んで調合するのですが、組み合わせは無限です。1つずつ嗅いで考えていたら仕事になりませんから、製品のターゲット設定やブランドの世界観を手がかりに、自分でイメージを膨らませながら、頭の中で調香レシピの大半を組み立てています。ここは調香師のセンスや経験がものをいうところです。
●人を良い気分にさせる香りをつくりたい
香りを設計するうえで心がけていることはありますか?
食べ物のおいしさと一緒で、香りの感じ方は100人いれば100人とも違います。だからこそ、いろいろな香りがあっていいと思います。私がめざしているのは、製品を気分良く使ってもらえるような香りです。たとえば、家事をするのが面倒で憂鬱なときに、ふと良い香りがして掃除がはかどるような香り。人の気持ちを上向きにしたり、成功体験につながるような香りを設計したいと考えています。
調合した香りは、自分でもテストしますが、最終的には社内でエバリエーターと呼ばれる評価の専門家が消費者に近い立場で判断します。調香師にも香りの好き嫌いはありますし、つくり手の気分は香りにも現れてきます。第三者のエバリエーターがいることで、より多くの人に喜んでもらえる香りが開発できていると思います。
ほかに心がけているのは、少し先のトレンドを見据えて、日頃から準備しておくこと。良い香水や日用品があれば中身を分析し、絵画の模写のように香りを再現してみます。ちなみに、トレーニング中の調香師は、本物の花のように処方箋の存在しない香りをつくることが勉強になります。どんなに香料の原料名や構造式を暗記しても、それだけでは新しい香りを発想できるようにはなりません。大事なのは、自分で考えて香りの世界を広げていくことです。
みなさんもぜひ、香水をつけたり、部屋に芳香剤を置いたり、リネン類をお気に入りの洗剤で洗ったりして、香りのある暮らしを楽しんでいただければと思います。
調香師が設計した香りは、ロボットで調合。約200種類の香料があらかじめセットされていて、ビーカーに貼られたバーコードから処方箋を自動的に読み取り、ノズルから必要量の香料が噴射される仕組み。そのほかの香料素材を調合アシスタントが手で測って加えると、香りのサンプルが完成します。
別の部屋では、サンプルを用いた香りの官能評価や、製品化を想定した使用テストが行なわれています。
調香のトレーニグ専用ルームの様子。普段、調香師が仕事をするときは、創香研究室という大部屋でパソコンに向かって香りをつくることが多いとのこと。「会社によっても違いますが、海外の調香師は個室で作業するのが一般的です」と長澤さん。