におい・香りの『嗜好の違い』が生まれる背景
〜香りと上手に付き合うために、必要なこととは?〜
当工業会は柔軟仕上げ剤の“香りのマナー”を啓発するとともに、「におい・香り・人の嗅覚」に関する科学的知見の充実に努めています。
食べ物や香りに関する心理学の科学的な研究で著名な坂井 信之先生の元を訪れ、『嗜好の違い』をテーマにお話をうかがいました。
↑東北大学大学院 文学研究科・文学部 心理学研究室 教授 坂井 信之 さん
●同じにおいや香りを嗅いでも、好き・嫌いは人によって判断が分かれます。嗜好の違いはなぜ生まれるのでしょうか?
人は基本的に、嗅ぎ慣れていないにおいに対してはネガティブに反応することがわかっています。「何かにおうぞ?」というときは、においの元を目で確認して、確認できない場合は、「臭い」「逃げたい」とネガティブに反応するほうが身のためだ、と考えるのです。
人間は進化の過程で、物ができるだけ遠くにある段階で判断できるように「視覚」を発達させてきました。視覚に多くを依存するようになった一方で、物に近づくか、遠ざかるかを判断するときはとくに「嗅覚」を使っています。たとえば、ライオンを遠くから眺めているときは「良いものを見たな」と思えるけれど、獣臭がする距離まで近づいてきたら「逃げよう」と判断しますよね。
においは最終ゲートの一つでもあり、においがするときは物が接近しているので、それだけ素早く、極端に、良い、悪い、を判断しなければなりません。よく「においは脳の視床を経由しないで直接感情に結びつく」と言われますが、これも、脳がにおいに素早く反応するために、情報伝達をするシナプスの数を減らして処理に時間をかけない構造になっているためです。
●嗅ぎ慣れていないにおいを「嫌い」と感じる本能がある、ということですか。実生活では、多くの人が嗅ぎ慣れた良いにおいでも、嫌いと感じる人がいますね。
最近ネットで「新幹線で豚まんを食べる人がいて臭い」という話題があり、許せるかどうか論争になりました。そもそも、電車の中でイヤホンをつけたりスマホに集中する人が多いのは、聴覚や視覚情報を固定することで周りを見えなくして、自分の世界に入ることができるからなんですね。しかし、聴覚や視覚は遮断できても、呼吸をする限りにおいは飛び込んできます。とくに「他人」のにおいが入って来ると、自分の「パーソナルスペース」を侵害されたような気分になります。
悪臭の公害でも同じように、「蒲焼きはいいにおいだけど、自宅の隣のうなぎ屋のにおいは臭い」ということが起こります。これも、生活環境に別のにおいが入ってきて、自分のテリトリーに侵入された気分になるという、あくまで気分の問題であって、においの元となる物質の問題ではありません。ではなぜ、ネガティブな気分になるのかというと、隣の店は夜中まで騒がしいとか、家の前でタバコを吸われたといった別のトラブルが背景に存在することが多くあります。
においの感じ方には、人間関係も影響します。同じにおいでも、心理的な距離が近い家族や恋人から香ればいいにおい、嫌いな人から香ればイヤなにおいに感じます。また、満員電車のギスギスした雰囲気の中でにおいを嗅ぐと、イヤな気分がにおいに反映されてしまい、「においのせいでイライラするんだ」と間違って感じることもあります。
このように、においの感じ方には色々なファクターがあり、接近回避や縄張りの意識、人間関係や心理など、化学物質とは別次元の話がかなり入ってくるのです。
●日本人の特性もあるのでしょうか? 海外の人は体臭があることが前提で、日本人ほどにおいを気にしないと聞きます。
海外の人がにおいに寛容なのは、体臭や香水を含め、小さい頃からいろんなにおいに囲まれて生活してきたからだと思います。その点、日本人はもともと体臭がきつくないですし、あまり香りを身につけない民族でした。
また、日本では「白色」が清潔の象徴で、においも「無臭」のほうが清潔で良いとする文化が定着し、ますますにおいを許容しにくくなったと思います。最近は、気密性の高い空間が増えてきて、誰かがちょっと違う香りをつけていると周りの人にもその香りが感じられるようになりました。今の状況が無臭を好む人にとって苦痛なのは理解できます。
●当工業会は柔軟仕上げ剤を適量で使い周囲に配慮する大切さを啓発しています。より多くの人に伝える方法はあるでしょうか?
柔軟仕上げ剤を適切な量で使っていても、においの感じ方はこれだけ違うんですよ、困っている人もいるんですよ、という見せ方をすれば、そこに配慮する人は出てくると思います。
ただ、「知らないにおいは怖い=逃げたい」という人間の基本的な感情をコントロールすることは難しく、一度ネガティブな感情を持ってしまうと、脳の仕組み上、なかなか書き換えることができません。
だからこそ、においに初めて出会う場面がすごく重要なんです。他人のにおいに対する許容を広げるには、幼少期からいろんなにおいを嗅ぎ、香りのレンジを広げることが大切です。お子さんには、たとえば、バラに似せて作った「限られた香料成分の香り」だけでなく、本物のバラの複雑な香り、咲いている環境込みの「複雑な自然のにおい」をたくさん嗅がせてあげて欲しいですね。
●香りを楽しみたい人と、香りを好まない人が、お互いに許容できる環境をつくるには何が必要でしょうか?
「しょうがない」と許せる雰囲気をつくることです。大人だったら、アルコールが飲めないからウーロン茶で、という人を許容できますよね。食べ物も、香りも、そういう文化を作っていくべきだと思います。
実験で、香りを漂わせた空間で顔写真を見せると、人は香りの傾向に引っ張られた印象を持つんです。香りを上手に身につければ、服装や化粧と同じように自分を表現するツールとして十分使えるということです。しかし、洋服や化粧は店頭でアドバイスが受けられるのに、香りはまだまだ浸透していません。香水も柔軟仕上げ剤も、新しく社会に出る人に使い方を伝えるなど、業界が率先して“香りを上手に使う文化”をつくっていっていただきたいなと思います。