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この前ね、機会があって琵琶湖の南の方をちょっと歩いてきました。
いいですね。水がある風景は…。琵琶湖は日本の宝だという人もいますが、それには異論はありませんね。
水はきれいになっているのですか、最近は…。
あまり変わり映えはしないようですね。各種の水質指標でも、ここ何十年もほぼ横ばい状態です。
いつ頃でしたっけ? その昔、いわゆる「洗剤追放運動」が始まったのは琵琶湖だったと聞きましたが、これはそもそも何が問題だったのですか。
その運動があったのはね、昭和46(1971)年頃からの十数年のできごとです。
じゃぁ、ちょうど前回お話のあった「洗剤有害説」とほぼ同じ頃じゃないですか。
そうですね、この頃というのは、各方面いろんな意味で歴史に残るできごとがいろいろありましたが、なかでも公害問題が深刻化して、大気汚染、光化学スモッグなどが起こり、一方でオイルショックもあって消費者運動も盛んになっていました。
大阪万博で「人類の進歩と調和」っていってた。
まさにその調和が崩れかけていた時代で、万博の翌年でしたか、琵琶湖で藻が大発生し、瀬戸内海には赤潮が浮くという事態になっていました。そのあたりからがいわゆる湖沼など閉鎖性水域での富栄養化問題のはじまりといっていいでしょうね。
「富栄養化」の文字面からはプラスのイメージがありますが、「問題」というからにはマイナス?
水質汚濁というマイナス現象のひとつです。湖などの水質が、リン・窒素・炭素など水中の栄養素が多過ぎることによって悪化するわけです。
リンも栄養ですか。
ええ、リンはすべての生物にとって欠かせない栄養のひとつなんですが、これが多過ぎると藻やプランクトンが大量発生して、酸素をたくさん消費するので、水中の酸素が足りなくなって生物が棲めないような環境になってしまうのです。
それでなぜ洗剤が…?
20年ほど前までは、洗剤の助剤のなかに性能を向上させるリンが含まれていたので、これが富栄養化を促進する元凶だとされたのです。滋賀県では“有リン洗剤をやめてリンを含まない粉石けんの使用を推進する”という県民運動が展開されることになったのです。
なるほど。でも、琵琶湖の富栄養化というのは、本当に洗剤が原因だったのですか。リンにしても食べ物をはじめ自然界にはたくさんあるような気もしますが…。
それはそのとおりですね。栄養分としては、台所や風呂場から排出される有機物のすべてがなり、合成洗剤や石けんはその一部で汚染原因全体の1割程度だろうという試算もあります。また、それよりも田畑から流れ出る肥料や、雨が洗い流し出すその他諸々の汚染原因があるわけで、何よりも必要なのは急激な人口増加に対し湖に流れ込む周辺河川流域の下水道を整備するなどの抜本的対策です。
それなのに、なぜ洗剤だけがやり玉に?
さあ、そこまではわかりませんが、運動として盛り上げる目標として適当だったということなのかもしれませんね。とにかく、この運動は非常な盛り上がりをみせ、これを契機として全国的な注目を集め、その影響は他の消費者運動にも波及したといわれました。
洗剤業界としては、どういう対応をしたのですか。
洗剤が主原因とはいえないこと、洗剤と石けんはどちらも影響度は同じであること、などを現地に赴いて説明したり、その当時考えられる相当な努力をしたといわれています。ついには、当時の滋賀県知事と直接懇談して洗剤と水質問題について業界としての提言を行ない、科学的で公平な判断を求めました。
しかし、官民あげて洗剤の販売店まで巻き込んで、いったん盛り上がった運動の軌道修正はできませんでした。結局、とうとう昭和54年には滋賀県議会は琵琶湖富栄養化防止条例を可決し、これで“洗剤は使わない・粉石けんならいい”というムードを広めたのです。この条例はかなりなもので、とにかく「店頭販売の禁止・消費者の不使用の責務・贈答品としない責務」まで盛り込んだ強烈なものでしたからね。
洗剤のリンをなくすことはできなかったのですか。
結果からいうとゼオライトの活用でできました。現に今の洗剤は家庭用のものは、全部ゼオライトを使った無リンです。ただし、この当時はまだ研究段階だったのです。それに、リンは汚れを落とすという洗剤の基本機能を高めるために必要なものだったし、洗剤だけを悪玉化してことを治めようとする流れには乗るべきでないという筋論もあって、業界でも議論は紛糾しました。
自主的に昭和50年から段階的にリンを減らしていく方法をとっていた業界では、減リン問題と並行して業界の重要課題として、リンなしでも洗浄効果を高める無リン化を急ぐことになります。そして、その結果昭和60(1985)年には洗剤の無リン化は完了しています。
ではその後は、合成洗剤によるといわれた富栄養化の問題は解消されたわけですね。
富栄養化の原因が洗剤のリン成分だとする、もともとの前提がズレていたわけだから、そう簡単にはいきません。
やれやれ、「なんでなのぉ〜!」みたいな…。
しかし、冷静にみれば、発泡問題・人体安全性・富栄養化問題と、立て続けに起こった試練は、その後の洗剤業界にとっては得難い経験になったといえますね。
そう、常に状況に真摯に対応し、環境重視型社会の実現に向けて、お茶の間の目線での幅広い問題にも取り組んでいかなければならない、という基本的な姿勢は、こういう経緯を経て次第に業界のなかに確立されていったといえましょう。
話を蒸し返すようですが、粉石けんもつくっている洗剤メーカーとしては、どちらでもよかったのでは…。
そうかもしれませんが、やはりなにが科学的で真実なのかということを置き去りにはできませんね。
ほかにもどんな影響があったのでしょう。
この琵琶湖の直接の影響としては、いくつかの自治体で住民による「洗剤追放条例制定」の請求が出されたり、茨城県の霞ヶ浦や千葉県の手賀沼などのように実際に条例ができたところもあります。
けれども、その後の経緯をみれば、結局、洗剤を追放してもそれで富栄養化などが解決し環境がよくなることにはならない、ということになるんでしょうね。
琵琶湖の石けん運動を進めてきたびわ湖会議も、4年前により総合的な運動に方針転換をしています。なにしろ、この運動が起こった頃の下水道普及率は、全国平均でも20%程度で、滋賀県のそれは5%にも達していなかった。それが、平成12年度に初めて全国平均を超えて65%になっているのです。これからですね。
きれいな琵琶湖はぜひ守っていきたいですね。
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*「石けんは環境を汚さない」という説があるが、科学的には正しくない。この説の根拠は、「すみやかに水中で生分解するから」とされるが、水が汚れるのは、有機物が水中の酸素を消費して分解するためで、石けんも例外ではない。 |
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