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洗濯はどこの家庭でも毎日欠かせない家事ですが、主婦にとっては“好きな家事”だそうですね。
きれいになるという達成感があるからとかいわれますが、やはり洗濯機と洗剤のお陰で、家事労働としての負担が軽減されたことが大きいでしょうね。
確かに、おばあちゃんがいつもいってました。タライに洗濯板で棒のような石けんを割って洗い物に塗り、冷たい水につけ手でごしごしこすりつけて洗っていたんだから、それを思うと洗濯機に洗剤を入れてぐるぐる回しておけば洗えるのは夢みたいだ、って…。
それも今や歴史の彼方のことで、タライや洗濯板も民俗資料館にでも行かないと見られませんね。
それが洗濯機と洗剤に切り替わったことは、単に手作業を機械化しただけでなく、ゴシゴシ洗濯から溶液の中でもむというように洗濯での洗い方を根本から変え、そこに洗剤が普及する必然性もあったともいえますね。洗濯槽の溶液をつくるためには粉状である必要がありました。石けんから合成洗剤に切り替わった最大の理由は、溶けやすさが必要だったからです。
洗濯機の普及は昭和20年代の後半からで、昭和30(1955)年頃には“三種の神器”だといわれましたね。
ちょうどこの年には石けんの生産量がピ−クを迎え、これ以降は洗剤のほうが上回っていきます。それから50年の歴史を経て、洗剤もさまざまに進歩し、洗浄剤の主役になってきたといわれていますね。
最近では“一度着ただけでやたらジャブジャブ洗うのはどうか”とか、“洗濯に洗剤を使わないほうがいいんだ”といったムードも一部にあるようですが。
省エネや環境という見地から、いろんな意見や主張があるのは悪いことではありませんが、一面的な見方だけが強調されていることが多いようですね。
洗濯習慣は地域や気候風土と切り離せないものですよね。日本のように高温多湿で汗をかきやすく汚れやすいところでは、衣類の着用期間が短く洗濯頻度も上がるのは避けられないし、衛生や健康面からいっても適度な洗濯と着替えはどうしても必要ですよ。
よく汚くても死にはしないっていいますが…。
死ぬか生きるかの問題ではありませんが、人体から出る汚れは1日約3〜14グラムといわれます。それをその日のうちに洗わないと、汗は汗ジミになるし、臭いが発生したり、微生物は繁殖するので、肌着下着は毎日洗わないと衛生的ではないのです。当たり前のように使っている石けんや洗剤の効用は大きいのです。
洗濯機の普及にともなって洗剤も広く使われるようになったのはわかりますが、一方では粉石けんのほうがいいのでは、という意見もありますね。
それは消費者の選択ですから、それぞれの特徴を活かして使えば、基本的にはどちらでもいいのです。
どう違うのですか。粉石けんと洗剤は…。
洗い汚れを落とす働きとしては同じようなものですが、強いて違いをいえば、石けんは水に溶ける温度が高いので、冷たい水では充分働かない。一度お湯に溶かしてやらないといけないのですね。石けんかすもあるので、粉石けんのほうが合成洗剤より使用量が多くなってしまう、といったこともあります。一回の洗濯に必要な洗剤の量として考えたときには、環境中に出てくる有機物の量としては石けんの方が多くなるのです。ただ、石けんは分解が早いので、それがいいという人は分解が早いものを使いましょうという。合成洗剤は確かに石けんに比べると少し分解速度は遅いのですが、全体的に使う量は少なくてすむ…。
なるほど。それでは一部だけとらえてどちらがいいとは、単純にいいにくいですね。
環境が分解浄化できるキャパシティという範囲で考えたときには、使う量は少ないほうがいい、という考え方があります。そのときは合成洗剤がいいともいえます。でも、少しでも早く分解しなければならないような状況では、逆に石けんのほうがいいという場合もあるかもしれないのです。
“洗濯機と洗剤は切っても切れない関係”っていうけれど、そう思っているのは洗剤業界の片思いのようで、洗濯機メーカーのほうは“洗剤がいらない”なんてのをウリにしている傾向もありますね。
なんでも「環境にいい」というのがビジネスの謳い文句になる昨今ですが、本質をおきざりにしてムードに流れるのはどうでしょうね。いろいろな技術がさまざまな洗濯機メーカーで謳われていますが、いままでの洗濯の技術と矛盾するわけではないのですか。
たとえば、イオン洗浄というのは、水を軟化して洗濯するという技術です。カルシウムやマグネシウムをイオン交換して減らし、洗剤の働きをより高めて洗おうという発想で合理的な考え方でしょう。
超音波というのは、どうですか。素人考えでは音波で洗えるの?と思うのですが…。
よく眼鏡屋さんの店頭でメガネ洗浄サービスをやっていますね。音波で衝撃を与えて、汚れを振動させ表面から叩き落とすという方法なんです。メガネのように固いものならいいのですが、布を固定できない洗濯槽の中では柔らかい衣類には効果が期待できません。
一時「話題」になった“電解水”はどうですか。
塩素を含んだ水道水を電気分解すると、次亜塩素酸という酸がで出てくる、その技術を使っています。次亜塩素酸とは塩素系の漂白剤の成分と同じです。普通の洗濯にそれを使うとどうなるかというと、汚れも分解するが繊維の色素も分解してしまうでしょう。
衣類の中には塩素系漂白剤に弱い繊維もある…。
ストレッチ性ウレタンなんか弱くてすぐ脆くなって伸縮性がなくなってしまうんです。
でも軽い汚れなら、洗剤ゼロでもいい?
洗剤がなくても水だけで洗える汚れは確かにあるのですが、汚れはすべてごっちゃになっているので、分類はできないわけです。「この衣類の汚れは全部水溶性の汚れです」なんてことはないですからね。軽い汚れといっても、洗濯する人にとっては汚れの種類はよくわからないですし…。
技術は常に進歩する可能性があるわけですが、洗濯機+洗剤というここ半世紀続いてきた洗濯のしくみに代わる、まったく別の新しい技術の可能性はどうなんでしょうね。
可能性は常に否定できませんしすべきでないと思います。また、その研究努力も必要ですが、少なくとも洗浄剤の原理というものは何千年も変わっていない。大昔の人類がいろんな経験のなかで知っていた知恵、それを科学的に明らかにしてもっと安く効果の高い方法を見つけだしてきた結果として洗剤ができた。洗浄のメカニズムを本質的に変えることはできないし、洗剤が果たしている役割や機能を他の機械などに代替することはできないのですね。そういう点では、今のような水を使う洗濯方法を続ける限りは、まったく別のしくみに取って代わることは考えにくいようです。
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