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やれやれ、洗濯ものを干し終わったときって、なんか気持ちいいわね。
洗濯は主婦の好きな家事なんだってね。やった!って達成感があるからかな。
乾燥も、できればこうしてお日様の下で物干しに干すのが一番ね。
いろんな家事が便利になっているけど、やっぱり洗濯は昔と比べるとずいぶん変わってきたよね。
「おばあさんは川へ洗濯に行きました…」って? 昭和30年代初め頃までは、ちょっと地方に行けばよく見られた風景じゃない? もちろんわたしたちの時代じゃないけど、母やおばあちゃんの時代には普通だったわけでしょ。
川へ行かないまでも、木でできたたらいに洗濯板でごしごし…と。プラスチックのたらいが出る前だからね。石鹸もでっかいレンガみたいなのがあったり…。
いわれてみると洗濯機の普及とともに、今のような洗剤ができてきたわけでしょ。
なにしろ、洗濯は大げさにいえば、清潔で衛生的な暮らしを守るために、人類の歴史始まって以来、繰り返されてきた大仕事だからね。
最近の環境問題からみれば、何回も洗って繰り返して着るのは、資源保護、ムダをなくすることにもなっているということもいえるし…。全自動洗濯機のおかげで、洗濯の負担が軽くなってありがたいわ。
洗濯はきっと洗濯機と洗剤のおかげで、好きな家事になったんだね。昔のようなたらいと洗濯板では、とても好きになれそうにない重労働だから…。
でもね、洗剤ってなんかいつも悪者みたいにいう人がいるでしょ。そういう人のいうことを聞いてたら、誰だってちょっと心配になってくるわ。ホントかしら?って思って…。
洗剤に害があるというのは、今ではもう科学的に否定されているはずなんだけどね。
でもほら、ここにも「洗剤は適量を使いましょう」って書いてあるじゃない? ということは「多く使いすぎると害がある」ってことじゃないの?
それは別に洗剤が害があるからじゃなくて、適量以上に多く使っても効果が増えるわけじゃないから…。砂糖でも醤油でも多く取りすぎるなど使い方によっては健康によくないことだってあるわけだけど、だからといって砂糖や醤油に害があるとはいわないでしょ。それと同じことで、正しく使えば問題はないんだ。
このあいだも、タマちゃんのテレビで昔は洗剤の泡で川が汚れていたというようなことをレポーターがいっていたし、なにかと引き合いに出されてるわよ。科学的には洗剤に害がないとしても、"洗剤が環境にもよくないから、できれば使わない方がいい"と思っている人は多いんじゃないの。
それは潜在的にあるのかもね、いやダジャレじゃなくて…。「洗剤を使わないぞうきん」や「洗剤のいらない洗濯機」が出れば、"洗剤が不要"というだけで環境によく、他よりいい商品だと思い込んでしまうような傾向が、一般の人には広くあるようだからね。
最近はインターネットね。個人で自由に発信できるから、"洗剤は悪い"と主張するページがたくさんあるのよね。いったいどうして、そういうふうに思われるようになったのかしら。なにか特別な理由があるのかしらね。
実はそれが大ありらしいんだ。だいたいこういう話は、みんなお隣の濯木博士から聞いた受け売り話なんだけど、洗濯機が出て洗剤も登場した、その頃の洗剤は主成分の界面活性剤が生分解性のあまりよくないものだったらしいんだね。
洗濯機が出た頃というのは、昭和20年代の終わり頃でしょ。爆発的に売れて、急速に普及したはずよ。
そう。昭和34(1959)年には、電気洗濯機の生産100万台を越えていたし、それと歩調を合わせるように洗剤も普及して、この年を境にして石鹸よりも洗剤のほうが生産量も多くなっていき、台所用洗剤も普及していくんだね。
で、下水道も普及していない時代、洗濯水が川や湖に流れ込むと、あちこちで泡が生じてなかなか消えない、という騒ぎが昭和41(1966)年頃に多摩川などで起きた…。
あらあら…。
水道の水も元はといえば川や池や湖から取っているわけだから、これに泡が立って消えないとなれば、大変だよね。これもひとつのきっかけになって消費者運動にまで発展していった。日本で消費者運動が立ち上がったのは、洗剤のおかげがあったからだという人もいるくらいだ。
なるほど、工場排水などで環境が問題にされ始めた時期でしょ。そりゃ大変ね。洗剤業界はそれに対してどうしたのかしら。
洗剤はなにしろ生活に欠かせない必需品になりつつあったところだし、技術的にもまだまだ歴史が浅かったんだが、生分解性をより高くし、排水後の河川や下水処理場で泡が立たないようにするため、すぐに界面活性剤の種類をそれまでのABSというものからLASというのに変えることにして対応したんだって…。
またでてきた。生分解性というのは…?
微生物によって自然に分解されて影響がなくなるということだろ。
それで泡が消えれば問題は解決したわけでしょ?

不幸にも洗剤への疑惑は、これで泡のように消えるというわけにはいかなかったんだね。というのは、昭和37(1962)年から一部の学者が、洗剤有害説をとなえたり、それから数年して今度は、台所用洗剤をマウスに塗った実験で奇形が生じるという主張をする人が現れて、またまた大騒ぎになってしまった。
その頃って、ちょうどサリドマイド事件や公害問題が、世の中の関心事になっていた頃だから、そういわれれば当然大問題になるわね。
その10年くらい、こういった問題で騒ぎが続いて、その影響で「洗剤は悪い」というイメージが定着してしまったんじゃないかな。洗剤の安全性や環境影響に問題はないという政府の公式見解にもかかわらず、昭和49年頃だったかな、「合成洗剤追放」をスローガンに全国集会が開かれるまでになってしまった。
ホントに洗剤で人体に害があったり、奇形になったりしたのかしら?
そんなことが実際にあったら、それこそ大変だよ。でも、一部にせよそういう説が流布される限り、当時の厚生省も放っておけない大問題だから、その真偽を確かめる作業は当然行なわれたんだ。その有害説をとなえる学者も入れた研究チームで、検証を進めたそうなんだ。
なるほど、それはフェアなやり方ね。で、その結論はどうなったの?
最終的には昭和53年に「LASによる奇形は生じない」という結論が出て、洗剤への疑いは晴れた。
それでやっと安心して使えるようになったのね。
ところがところが、その結論が出る少し前から、今度はびわ湖など湖沼の富栄養化問題が起こるんだ。
「富栄養化」っていうと、栄養が豊かになるんだから、悪いことじゃないみたいね。
いやいや、富栄養化ということは「汚れている」ということなんだ。ただ、自然のサイクルでいうと、これは湖の一生で時期がくればいずれそうなることなんだ。それが、人間が関わることでリンなど栄養分が急激に豊富になるとプランクトンが異常発生してアオコなどが生じ、水環境を汚して生態系にも影響を与えてしまうんだけど、当時の洗剤はこのリンも主成分のひとつだったんだ。
ありゃりゃ! また悪者ね。どこまでもついていない洗剤くんね。
滋賀県で琵琶湖富栄養化防止条例ができたのが昭和54(1979)年で、これをはじめとして今度は各地で環境問題として、またまた反洗剤ムードが高まってしまった。
で、今度は業界としてはどうしたのかしらね。
すぐさまリンの配合を自主規制して、一年後には無リンの洗剤をつくり、それから四年後には無リン化率90%以上へと切り替えたんだ。今ではリンを使った洗剤を見かけることはなくなった。
じゃ、それでびわ湖の富栄養化問題も解決したのかしら。
いや、洗剤が無リン化になっても、びわ湖にしろどこにしろ、富栄養化問題は今に至るまで解決されたとはいえないようだね。
ということは、富栄養化はリンを含んだ洗剤だけの問題じゃなかった、ってことよね。なら、これで洗剤への疑いも晴れてめでたしめでたしのはずなんだけど、環境問題全般が解決しないと、いったん宣伝され定着してしまった洗剤の悪いイメージは回復できないってことなのかしらね。
いまだに過去のこういう歴史が、有形無形に尾を引いていることは事実で、あいかわらず「洗剤は×・石鹸は○」といった主張は絶えることがないんだね。
外国でも同じようなことがあるのかしら。
いや、アメリカやヨーロッパでも日本と同じ原料の同じような洗剤を使っているけれど、そんな問題はないらしいよ。
みんなが毎日使っている身近な洗剤なのに、こういう問題って普通の人が知らないことも多くて、なかなか興味深いわね。
そうだね。今度は、ぜひ濯木博士をお茶にお誘いして、受け売り話ではなく、直接もう少しくわしくお話を聞いてみようか。
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