★その源泉は戦前からあったが…
|
今日の合成洗剤の端緒は、第一次大戦のさなかに、油脂を使う石鹸の代用品を模索することから始まったと言われます。1890年代になると、初の家庭用合成洗剤「ドレフト」も誕生します。
第二次世界大戦も、合成洗剤を大きく進歩させました。1933(昭和8)年にドイツで開発された界面活性剤アルキルベンゼンスルホン酸塩(ABS)は、軍需用としても多く使われ、アメリカのモンサント社など大手化学会社も加わり、その後の合成洗剤の主流をつくります。
こうした流れのなか、日本でも1934(昭和9)年には第一工業製薬の「モノゲン」が発売され、これが日本の合成洗剤第一号となります。
しかし、時代は戦争に向かい、洗剤という商品が一般に使われ、本格的にデビューするのは、戦後のことになります。
|
★ABSは分解しにくかったので…
|
戦後の石油化学の著しい発展を背景として、日本初の石油系合成洗剤が新スタートするのは、1951(昭和26)年のことです。
1963(昭和38)年にはアメリカに遅れること10年で、合成洗剤の生産量が石鹸の生産量を上回ることになります。界面活性剤は、やはりアルキルベンゼンスルホン酸塩(ABS)が中心でした。
洗剤が急速に受け入れられ、各家庭に浸透していったその背景には、電気洗濯機の普及があり、洗濯という家事が大きく変わったことがありました。
|
★ソフト化、多様化…
|
こうして広く使われるようになったABSには、分岐型のアルキル基のために生分解性が悪い欠点をもっていました。大量に使われる洗剤は、それが完全に分解される前に河川に流れ出し、1964(昭和39)年頃にはあちこちの河川で泡を浮き出すという現象を生じ、問題になります。
そこで、分岐型ではないアルキル基(直鎖)への転換が迫られ、洗剤はいわゆるソフト化の大きな山を越えることになります。これが1966(昭和41)年頃のことで、このときに使われた界面活性剤は、生分解性がよい直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩(LAS)などが主なものでしたが、これらは現在でも使われています。そして洗剤は、洗濯用だけではなく、用途も広がっていきます。
1956(昭和31)年には台所用洗剤が登場し、これに続いて住居用洗剤も発売され、洗剤の用途別商品化が進行します。
|
★富栄養化・無リン化・洗剤パニック…
|
泡の騒ぎがやっと消えた頃、1971(昭和46)年に琵琶湖で、1972(昭和47)年には瀬戸内海で赤潮の発生が続いて、湖沼の富栄養化の問題がクローズアップされます。今度もまた、富栄養化の原因は洗剤の助剤として使われていたリン酸塩がその原因だ、と指摘する声が大きくなりました。
しかし、実際には富栄養化原因のうち、洗剤が占める部分は9%でした。“科学的に考えると洗剤だけが富栄養化の原因ではないからそれだけでは対策にならない”という“正論”を押しつぶすほど大きくなった反合成洗剤のうねりには、誰も逆らえなかったのです。
そこで、業界あげて無リン化に取り組み、1980(昭和55)年には無リン化洗剤が発売され、それから5年後には洗剤の無リン化は完了します。
1973(昭和48)年には、いわゆるオイルショックが起こり、“洗剤パニック”といわれた買占め騒ぎもありました。
|
★そしてコンパクト化・多機能化へ…
|
1987(昭和62)年には、コンパクト洗剤が登場します。コンパクト化は、少ない量で汚れ落ちをよくする画期的な技術でした。中空部分を圧縮して容量を減らすだけでなく、バイオ技術を導入し酵素などの配合活用の道を開いたのです。それは、今日の多機能化洗剤の新時代を開くものでもありました。
また、洗剤は省エネ・省資源の点でも、3Rのうち最も肝心なリデュース(削減)において努力してきました。
いろいろな意味で、時代とともに歩んできた商品、それが洗剤です。
|
|
|