まずその歴史から読み直してみると…
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■ “人体に有害“、“環境汚染源”との批判再考 |
1960年代初め、今からもう50年も前のことですが、洗剤の初期普及期に、一部の学者から、洗剤が人体に有害であるとする説がとなえられ、一方では排水による環境汚染の問題が取りざたされました。
考えてみれば、今に残る洗剤有害説や否定論は、この頃のできごとに、起因しているといえます。
現在でも、日本国内では「洗剤は人体に有害だ」「界面活性剤は環境汚染の元凶だ」「だから洗剤は使ってはいけない」といった主張が、一部で喧伝されています。それらは、インターネットの口コミ情報や、洗剤追放を叫ぶ運動家やグループの出版物、また他社製品をひぼうして自社製品を販売しようとする会社などが意図的に流している情報などです。
そのような、いかにももっともらしい“危険情報”に接した一般消費者は、どうしても不安になってしまいます。その情報の内容が正しいのであれば、問題はありませんが、“洗剤は有害”との情報が、誤ったところから出発している、それが困ったことなのです。
今改めて、“人体有害”と“環境汚染”の両面から、洗剤の安全性と環境影響について考えるならば、「科学的」にみて、「国際的」にみて、それらの主張はどうなのか見直してみたいものです。
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■ 「科学的」な視点から |
まず最初に、洗剤の安全性も危険性も、「科学的に」みて認められた情報でなければ、判断の基準にはなり得ません。専門家が学術的に仮説や実験によって研究した内容を、さらに複数の別の専門家が検証して認められた結果をもって、科学的に検証できたということができます。
そのような新情報は、まずは、専門の学術誌に投稿されます。複数の専門家によってその内容が審査され、そして掲載された研究論文のみが、学術的な知見としての意味を持つわけです。その後、他の専門家が同じ実験を行なっても、同様な結果が得られることが確認されれば、その結果が正確で公平であり、科学的に証明されたことになります。
もし、“洗剤が有害”という主張が科学的にみて正しいのであれば、その研究結果を多くの科学者が支持していなければなりません。
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■ 「国際的」な視点から |
国際的にはどうなのかというのも、重要なアプローチです。
なぜなら、洗剤は世界中で日用的に使われており、もし危険であれば、同様の問題が世界各国でおきているはずだからです。WHOなどいくつもの国際機関などが、これまでどう対応しているかがわかれば、疑問の解決に大いに役立つことでしょう。
地球規模の化学物質安全対策が具体的に求められている現在では、各国が強調して情報を交換し、対応するのが一般的です。“世界は世界、日本は日本”といった鎖国論は、その理由を明示しない限り通用しません。
化学物質の規制についても、その安全性を確かめながら、慎重な製造・取扱い・使用をはかるため、リスクアセスメントの考え方や方法を、世界的に共有しようとする動きが、加速しているところです。
そんななかで、洗剤が人体に有害なので使用を中止しようといった問題は、世界のどこでも、過去にも現在にも、起こっていないといえます。
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■ 50年前の騒動の原因になった説は否定されている |
50年前…、半世紀前の話です。そもそもその当時唱えられた洗剤有害説は、科学的に検証された学術的に確かな問題提起ではありませんでした。学術雑誌に投稿され検証されたのではなく、単にマスコミに向けて発表され、それが大々的に報じられたことで世間の話題となり、ますます有害説がエスカレートしていったのです。
有害説は勢いを得て、社会的に大きな問題になり、ついには発ガン説までとなえられます。別の学者からは“合成洗剤で奇形が生じる”説まで出てきて、これまたマスコミの大騒ぎに拍車をかけることになったのです。
ついには、国会質疑まであって、三度にわたって当時の首相が答弁に立ち、政府見解として有害説を否定しています。
この問題を改めて検証して、学術的に結論を出すことができたのは、1983(昭和58)年でした。このときは内外の研究論文や文献、研究データなどをすべて集め、公害問題にも実績のある学者5人が検証にあたりました。その結論は、「洗剤の安全性に問題は認められない」というものでした。
これ以来、現在に至るまで「科学的」に洗剤の人体有害説の提示はなく、安全であるという結論を覆す論拠や研究はないのです。 |
■ 環境影響は国際的な枠組みでリスク管理 |
では、「国際的」にみると、どうだったのでしょうか。
欧米を始め、日本以外の国で洗剤の人体有害説が問題になった国はありません。お隣の韓国で一時期話題になったようですが、これも“日本の運動家が有害説を輸出した”ものでした。
外国で問題になったケースは、環境影響の点からでしょう。初期の洗剤で使われていた界面活性剤ABS(分岐鎖型アルキルベンゼンスルホン酸塩)が、微生物によって分解されにくいものだったため、下水処理場や河川での発泡問題が起こりました。欧米で問題になった際に、日本でも同じ問題が生じています。
これには、LAS(直鎖アルキルベンゼンスルホン酸塩)という生分解性にすぐれた界面活性剤に切り替えることで、国際的に解決しました。日本では72年までに、主成分の切り替え(ソフト化)が行なわれました。
環境影響関連では、発泡問題以外にリンによる富栄養化問題が外国でも起こっています。日本でも大きな問題となり、“洗剤追放”はびわ湖の石けん運動など当時の消費者運動の柱になったといわれました。これに関しても、日本ではいち早く洗剤の無リン化で対応をはかりました。
富栄養化の原因といわれたリンは、日本では1984(昭和59)年には、特殊用途用を除いて、洗剤には使われなくなっています。外国では、日本のように対応できなかったので、この点では日本のほうが優れていました。
現在、洗剤の使用を中止して、他のものに切り替えれば、生活環境が改善するといった事例は報告されていません。もちろんこれには、下水道の整備など生活環境のインフラ整備が進んできた背景もあります。
さらに現在では、環境影響については、国際的な協調のもとで、さまざまな規制や管理体制のなか、チェックが行なわれるようになりました。
化学物質全般の流れとして、リスクとハザードの考え方と管理手法を動員した取り組みが行なわれています。このような流れの中で、水環境に影響のある多くの原因のうち、洗剤だけをやり玉に上げて排斥しようとする動きは、「科学的」に正しくなく、「国際的」にもおかしなことなのです。
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