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2007年12月15日更新
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参照カテゴリ> #02.リスク 

* 化学物質の安全シリーズ (2)

安全はどうやって確かめるの?

(財)残留農薬研究所
毒性部副部長 兼
生殖毒性研究室室長
青山 博昭 氏

(2007/10/24開催)

(財)残留農薬研究所へのリンク

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1)リスクの基本概念(原則)
2)ヒトに障害が現れないように管理するためには
3)毒性試験の種類
4)実験動物について
5)突然変異による思わぬ実験結果への影響
6)動物間での違い(種差)
7)化学物質と市民生活
8)どこまでリスクを減らすのか
9)「学究の科学」と「規制の科学」の隙間には何が見える?
10)賢い市民となるために

 1)リスクの基本概念(原則)
 リスクとは、危険なことがどのくらいの確率で起こるのかという掛け算の概念で求めるものです。したがって、毒性物質や様々な環境中の物質にどれくらいリスクがあるかということは、そのものの危害性(有害性)と暴露量を掛け合わせて算出します。例えば、タバコで考えて、軽いタバコの20倍のニコチンとタールを含むタバコがあったとします。そうすると、強いタバコ1本が軽いタバコ1箱(20本)分の有害性を持つということになり、暴露量として何本吸うかを掛けたものがリスクの大きさということになります。それでも私がニコチンやタールの含有量が高いタバコを吸い続けるのは、タバコを吸わない人にも肺がんのリスクはある(ゼロではない)し、タバコを吸って肺がんになるリスクは交通事故にあうリスクよりずっと低いと思っている(正しいかどうかは知りません)からです。道を歩いていて交通事故にあう確率は、きっととても高いと思います。
リスクの大きさが「危険性×暴露量」で現されるということは、青酸カリのような猛毒であっても、その物質に接触する機会がなければリスクは生じない(暴露量が「ゼロ」なら、掛け算の答として現される「リスク」も「ゼロ」になる)ということを意味します。
リスクを評価する時には、毒性試験のデータから、毒性の種類や強さを推測します。そして、その物質が環境中にどのくらいあるかを測定して、その掛け算でリスクを評価します。
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 2)ヒトに障害が現れないように管理するためには
2-1 ヒトに障害が現れた不幸な例
1960年代初頭におきたサリドマイド胎芽病とは、当時は副作用がない睡眠薬とされていたサリドマイドを母親が妊娠中に服用したために、胎児にアザラシ肢症と言われる四肢奇形が生じた事例です。妊娠中の母親が服用しても本人に副作用が生じなかったのに、次世代に影響が現れてしまいました。この事件を契機として、発生毒性や催奇形性といった胎児(赤ちゃん)に及ぼす影響を調べるようになりました。
エストロゲンによる内分泌かく乱も、1930年代の末から1970年代の初頭にかけて起きた事例です。当時の米国では、流産防止のためには合成エストロゲンが効果的と産婦人科医が国をあげて推奨した結果、生まれた子供の一部に20才前後で膣がんや様々な生殖器異常が生ずるという悲劇が起こりました。
日本ではこのような医療の事故もさることながら、水俣病やイタイタイ病などの公害問題が深刻です。
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2-2 リスク評価の理念
このような医療事故や公害が引き起こされないよう、ヒトに危害が及ぶ前にリスクを予測して被害を未然に防ぐことができれば、それが最善の対策です。したがって、あらゆる化合物について環境中に放出する前に適切なリスク評価が実施できれば、リスクを最小にする理想的な管理ができます。しかし、太古の昔から天然物も含めれば何十万という化合物が存在しており、その数は現在もどんどん増え続けていますから、現実的にはあらゆる物質のリスクを一々個別に評価することはできません。したがって、実際にはヒトが摂取する機会の多いものから調査することになります。人工的な化合物なら、生産量の多いもの、ヒトが摂取する可能性の高いものから順に調べることになるのです。
ここで、私が化合物と書いているのは、化学物質という言葉が好きではないからです。そもそも、物質は原子か原子がくっついた分子でできています。したがって、あらゆる物質は化合物なんです。りんごであろうがみかんであろうがパソコンであろうが、物質にかわりはありません。しかし、化学物質というと何だか恐ろしげなイメージがあって、無理やり悪者あつかいしているような気がしてなりません。
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2-3 毒性試験の位置づけ
様々な化合物のヒトに対する有害性を、ヒトで調べることはできません。
そこで、ヒトのモデルとして実験動物を使用する毒性試験を実施して、ヒトに対する毒性を予測しているのです。環境リスクを調べるときは、環境生物のミジンコを使ったり、コイを使ったりしています。毒性試験では、どんな毒性がどれくらいの強さで現われるかを調べます。どんな毒性とは、例えばがんができることだったり、不妊になったり奇形が生じたりすることです。それがどの程度の強さかというのは、「体重1キログラムあたり1ミリグラムの摂取でがんができる」とか、「がんはできるけれど、摂取量が体重1キログラムあたり100ミリグラム以下なら大丈夫」とかいった尺度で現します。
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 3)毒性試験の種類
3-1 農薬のヒトに対する安全性を担保するための試験
ここでは農薬を例にあげていますが、「農薬使用時の安全性評価」のところは、洗剤なら洗剤工場の従業員という風に置き換えてご覧ください。
農業従事者の場合は高濃度の暴露が考えられるので、まず、死亡や重度の急性中毒が引き起こされる危険性を調べる急性毒性試験が重要になります。実際に農薬を使う現場で起こりうる事故というのは、例えば液体の農薬を水と間違えて飲んでしまったとか、散布の際に頭からかぶってしまったとかいった、一過性に高濃度の暴露が起こる事例です。急性毒性は、このような事故の危険性を考えて、どれくらい飲めば死んでしまうかというような情報を得るものです。また、ヒトは毒物を必ずしも飲むとは限らず、吸い込んだり(吸入暴露)、手についたり頭からあびたりしてしまう(経皮暴露)こともあります。そこで、急性毒性も様々な暴露経路で調べます。農業の現場では、その場で死んでしまうような強い中毒事故ばかりでなく、比較的高濃度の暴露が何日も何週間も続く可能性もありますから、そのような事例に備えて亜急性毒性も調べます。また、特殊毒性といって、お腹の赤ちゃんへの影響をみる催奇形性試験なども実施します。
それと同時に、消費者安全も重要な観点です。こちらは、低用量の慢性暴露によりどんな毒性が現われるかを調べます。野菜やご飯を食べる消費者には、ほんのわずかだけれどゼロではない量の農薬が残っている食事を、1年も2年も食べ続ける可能性があります。市販されているお米と言えども、貯蔵中のお米が虫に食われないように燻状されていた場合は比較的高濃度の燻状剤が残留する可能性もあるので、急性毒性も調べます。同じ試験を2回実施するという意味ではありません。同じように、亜急性毒性や特殊毒性についても調べます。

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3-2 慢性毒性試験/発癌性試験
長期毒性をみるのが、慢性毒性試験とか発癌性試験とか言われる試験です。ラットもマウスも使われます。ラットの場合は、調べたい農薬を2年間毎日投与します。ネズミの寿命は、長生きする個体であっても、なかなか3年に届くことはありません。何もしなくても場合によっては半数近くが死んでしまうのが、大体2年くらいです。したがって、2年間にわたる慢性毒性試験を実施すれば、動物にほぼ一生涯にわたって農薬を摂取させて影響を調べたことになるのです。これらの試験では、神経学的、生理学的、血液学的、病理学的な観点から様々な検査を実施するとともに、発癌性があるかないかを調べます。この例は、ラットの脳です。レベル3と書いてあるところは、大脳皮質の一部です。この右側の赤丸で囲んだ部分の拡大が、下の写真です。変化がある右の写真では、紫色にみえる点々が、核が萎縮している異常な神経細胞です。文字通り、頭のてっぺんからつま先まで、このように病理学的変化がないか調べます

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3-3 繁殖毒性試験/催奇形性試験
繁殖毒性試験とは、農薬の生殖に及ぼす影響を、2世代にわたって調べる試験です。農薬を餌に混ぜ、親、子、孫の3世代にわたって与え続けて、子孫に及ぼす影響を評価します。真ん中の世代(子世代)の動物は、お父さんの精子やお母さんの卵子の時代から農薬を暴露され、生まれてからも毎日暴露を受け続けながら、子供を生んで育てます。催奇形性試験とは、先ほどのサリドマイドの事例のように、お母さんのお腹にいる胎児に対する影響を調べる試験です。
右の写真は、20数年前に私が作った、ラットの赤ちゃん(出産直前の胎児)の骨格標本です。赤い部分が硬骨、青い部分が軟骨です。外観の奇形だけでなく、内臓やこうした骨の異常をも正確に検査していきます。
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3-4 生体内運命に関する試験
放射線標識した農薬を動物に投与して、吸収、分布、代謝および排泄の具合を評価します。この図は、ラットを縦切りにしたものです。DDTの例をあげています。水色に見える部分が、放射線で標識されたDDT(およびその代謝物)です。この写真(オートラジオグラフ)から、DDTは主として脂肪組織や乳腺に分布し、胎児にはほとんど移行していないということがわかります。子供は、生まれてから母乳経路の暴露を受けてしまうのです。
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3-5 農薬の毒性評価の原則
動物に農薬を投与すれば、その農薬は動物の体内で代謝(解毒)されます。代謝物や分解物に毒性があっても、親化合物(農薬そのもの)を投与された動物の体内では自動的にそれらの代謝・分解物が生成しますから、わざわざ代謝物の毒性を別途調べる必要はありません。しかし、農薬の毒性や生理作用を試験管の中でスクリーニングするときは、試験管内では農薬が代謝されませんから、考えられる代謝産物の作用も調べなければなりません。代謝は、植物体内でも起こります。もしも植物体内では動物体内と異なる代謝産物が生成されるなら、そのような代謝物(動物の体内では作られない物質)の毒性も調べなければなりません。国内で一般的に使われている農薬については、基本的に、そのような代謝産物の毒性も調べられています。しかし、非食用の物質(例えば、コンピュータや自動車の部品、家具、衣類など)についてもそれだけのことを調べなければならないとすると、世界中の研究所が100年かかっても毒性試験が終わりません。通常は、食品でないもの、あるいは経験的に今までトラブルが起こっていないものについては、もう少し簡便な方法で毒性評価やリスク評価を行います。一般化合物の場合は、亜急性毒性や急性毒性をみて、何も起こらないようだったらそれ以上詳しい検査はしないでおきます。
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 4)実験動物について
4-1 様々な毒性試験に使われる実験動物
ラットは成熟すると300gから400gぐらいになり、加齢すると1 kgくらいになる個体もいます。マウスの体重はおおよそ40gぐらいですから、10倍ぐらい違います。ミッキーマウスでお分かりになるように、ラットと比べるとマウスの方が顔が丸く、耳が大きいですが、体はラットより小型です。実験動物というとモルモットのイメージがあるかもしれませんが、毒性試験ではモルモットをほとんど使いません。ほとんどの試験が、ラットかマウスを使って実施されます。ラットやマウスとモルモットでは、扱いやすさが違います。モルモットは1回に子供を2匹ぐらいしか産みませんから、繁殖毒性や子供に及ぼす影響を調べるには、非常に多くの母親が必要になってしまいます。皮膚刺激性やアレルギー性などは、モルモットで調べます。ところが、ネズミだけみていて大丈夫かと言われるとちょっとつらいところがあるので、催奇形性試験にはウサギも使います。ウサギは、サリドマイドで奇形が誘発されたので、それ以来、伝統的に催奇形性試験に使われています。イヌは、亜急性毒性や慢性毒性を調べる以外、あまり使われていません。ニワトリは神経毒性物質の投与に耐性が強いので、すぐには影響が出ない遅発性神経毒性の実験に使われます。
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4-2 実験動物の素性
近交系とは、マウスやラットで、兄妹交配を20世代以上続けた系統のことです。理論的に、あらゆる遺伝子について、親子兄弟全部の遺伝子型が同じです。
アウトブレッド系とは、親子兄弟は似ているけれど、ちょっとずつ違うぞという状態です。例えば、兄弟の間でも、毛の色は同じだけれど血液型は違うというくらいの差があります。
近交系の動物を実験に用いた場合は、個体差が小さいため、反応はシャープに出ます。しかし、アウトブレッド系統由来の動物を使った実験では個体差が大きくてデータがややばらつきますから、十分な数の動物を用いることが重要です。もちろん、これらの点に十分配慮した試験であれば、リスク評価に用いることができる結果が得られます。
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4-3 個体差を考えてみよう
個体差を考えると、ヒトの集団はとても不均一であることがわかります。動物実験でも、オス・メス、太った個体・痩せた個体、赤ちゃん・加齢個体と選ぶことは可能ですが、遺伝的にある程度のばらつきを保つことが非常に難しい。お酒に弱い人は、訓練によりだんだん強くなることはあっても、平均的には弱いままです。毒性に関して言えば、ある毒物を解毒する酵素の活性が高い人と低い人があり、同じ毒物を同じ量飲んでしまっても、中毒症状の強さ(辛さ)はそれぞれ異なります。同じものを食べても、ある人は中毒になって苦しんだのに、ある人は平気だったということがあります。
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4-4 毒性学者が好む実験動物
毒性学の立場からすると、多くの研究者が、なるべくヒトの集団に近い動物を使いたいと考えています。そうすると、遺伝的にある程度の多型がある(不均一な)動物として、アウトブレッド系統の動物が選択される機会が多くなります。
ところが、このような動物(遺伝的に不均一なアウトブレッド系統に由来する動物)を実験に用いると、母集団(もともとの繁殖集団)に起こった突然変異により、様々な問題が生じることもあります。
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 5)突然変異による思わぬ実験結果への影響
5-1 動物コロニーに潜む劣性突然変異遺伝子の思わぬ効果
突然変異は、どんな集団にも、必ず一定の頻度で起きるものです。そそっかしい実験者は、化合物の影響と偶然の突然変異を区別することができず、毒性試験の結果を間違って解釈してしまいます

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5-2 ラットに出現した突然変異
これは、四肢の指が多くなる(写真では7本)突然変異ラットの写真です。この劣性突然変異は、たまたま催奇形性試験の対照群(化合物を投与していない群)で発見されました。お父さんからもお母さんからも四肢の指の数を多くする働きのある劣性遺伝子をもらうと、このような異常が出現してしまいます。私達は、30年ほど生殖・発生毒性試験を実施している間に、このような劣性突然変異を7つほどみつけています。
何か奇妙な異常をみつけたら、その異常か遺伝要因によるものかどうかを調べなければなりませんが、世の中にはこのような確認を怠って失敗してしまう人も多いようです。
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5-3 外表からヘテロ個体を診断できない優性突然変異の関与
ある一つの遺伝子に、異なる型の異常を引き起こす働きのある場合(遺伝子の多面発現と言います)も稀ではありません。例えば、ある突然変異遺伝子を1つ持つ(このような個体を、ヘテロ個体と言います)ことにより、外表は正常であるにもかかわらず、内臓に異常が生ずる場合もあります。この図は,外表に異常がなかったために「正常」と判定された雌雄(この突然変異遺伝子をヘテロに持っており、解剖により内臓異常を持つことが確認される)の交配から、内臓異常を持つ児(ヘテロ個体)や外表にも異常のある児(この突然変異遺伝子がホモになった個体)が生まれた例を示します。繁殖試験では、原則として1腹(1匹の雌が同時に生んだ児の集団)から雌雄各1匹を次世代の親動物として選抜しますから、腹の代表として見かけが正常な突然変異個体が選ばれてしまうこともあります。
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5-4 Wistar Hannover ラットに出現した甲状腺異常症
生殖・発生毒性試験に良く用いられるWistar Hannover GALASラットでは、甲状腺に異常を来たす突然変異がみつかっています。この写真は、突然変異個体(外表は正常なヘテロ個体)の甲状腺を組織学的に観察したものです。
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5-5 ラットにみられた矮小症
ヘテロ(突然変異遺伝子を1つだけ持つ状態)で甲状腺の異常を引き起こすこの突然変異遺伝子をホモに持つ(母親と父親のいずれからも突然変異遺伝子をもらった)個体は、写真のように、矮小症(おチビさん)になってしまいます。発育不良や体型の小型化はごくありふれた異常ですから、ある種の化合物を暴露された群でこのような異常を持つ児が生まれた場合、その異常が化合物投与によるものなのか、ここに例示したような遺伝子突然変異により引き起こされたものなのか、解剖しただけでは区別がつきません。私達は,この劣性突然変異を、DNA(遺伝子)のレベルで同定することに成功しました。今では、この異常に関する限り、遺伝子診断によって突然変異によるものか否かを確認することができるようになりました。
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5-6 化合物の投与に対する感受性を支配する優性突然変異の関与
ここまでは、実験動物の集団に保持される優性または劣性の突然変異遺伝子により、投与した化合物とは無関係に先天的な異常が出現して、毒性試験の結果を歪めることがある例を示しました。今度は、もう少し異なる面から毒性試験と遺伝的要因を考えてみましょう。
ヒトの集団でも、同じ量の毒物を暴露されたにもかかわらず、中毒症状の現れる方と現れない方がいることは、先に説明した通りです。このような現象は、実験動物にも同様にみられます。例えば、ある化合物に対する感受性を高くするような優性遺伝子があり、実験に用いる動物の集団中に、この優性遺伝子をヘテロに持つ個体(高感受性個体)と持たない個体(低感受性個体)がいたとします。この図は、高感受性(感受性を高める優性遺伝子を1つ持つ)の雄と低感受性の雌を交配すると、得られる胎児の半数は高感受性、残りの半数は低感受性となることを示しています。
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5-7 マウスの遺伝子型によるHydrocortisone誘発奇形(口蓋裂)出現率の差
この写真は、黒い毛色の近交系(親子兄弟の遺伝子組成がすべて等しい)マウスに、毛色を黄色くする遺伝子(Ay)を1つだけ導入したマウスです。毛色に関する遺伝子だけを取り出して遺伝子記号で表すと、黒いマウスはa/a、黄色のマウスはAy/aと表されます。それ以外の遺伝子座は、黒いマウスと黄色のマウスでまったく同じです(遺伝学の専門用語では、このような関係の系統を、「コンジェニック系統」と呼びます)。
さて、毛色の異なるマウスを様々な組み合わせで交配して、胎児に対するグルココルチコイド(副腎皮質ホルモン)の影響をみると、親または児(胎児)の遺伝子型がAy/aになると奇形の出現率が高くなることがわかります。例えば、雄も雌も黒いマウスを交配(a/a x a/a)すると胎児の遺伝子型はすべてa/aとなり、黒いマウスしか生まれません。一方、父親か母親のどちらかが黄色でもう片方が黒色という組み合わせ( a/a x Ay/a またはAy/a x a/a)からは、黄色い子供と黒い子供が半数ずつ生まれます。グラフにあるように、ハイドロコーチゾンを50mg/kgの用量で妊娠マウスに投与すると、生まれてくる児の半数が黄色いマウスになる交配では、黒い児しか生まれない交配と比較して、奇形(口蓋裂)の出現率が約2倍になります。毛色を黄色くするAy遺伝子には、副腎皮質ホルモンに対する感受性を高くする(胎児奇形が出現しやすくなる)性質もあることがわかりますね。
このような遺伝子は、ここで示したAy遺伝子以外にも、たくさんあると推測されます。このため、アウトブレッド系統の動物を用いた一般的な毒性試験では、知らず知らずのうちに結果が歪んでいる可能性が常に存在します。そこで、一般的な毒性試験では、用量反応関係(一般に,暴露量が増えるにつれて毒性がより顕著になる関係)を基にして、中毒量や無毒性量を判断します。個体差の存在を前提に、毒性試験の結果は「概算の結果」であること(「概ね10mg/kgが最小中毒量である」という結果が得られたとしても、「10.1mg/kg」を摂取した個体に必ず毒性が現れるというほど厳密なデータは決して得られない)を理解しましょう。
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5-8 マウスの系統によるCortisone acetate誘発奇形(口蓋裂)出現率の差
マウスでは、同じ量の副腎皮質ホルモンを投与しても、系統によって奇形の出現率が著しく異なることが古くから知られています。このような現象は、それぞれの個体の遺伝子組成が異なるために生ずると考えられています。ここで示した幾つかの例から得られる結論は,「最小中毒量や最大無作用量は個体ごと(ヒトの場合は個々人で)に異なり,絶対的なものではない」ということです。言い換えれば、「毒性試験の結果は、用いる動物の系統に依存して変わり得るものである」ということであり、ある化合物のヒトに対する毒性にも、当然のことながら個人差が存在するであろうということです。
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 6)動物間での違い(種差)
6-1 種差について考えてみましょう
ダイオキシンの毒性には種差があることが知られています。サリドマイドの催奇形性は、ラットやマウスを使った実験では検出できず、ウサギやサルを使った実験で確認されました。
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6-2 ダイオキシンの急性毒性にみられる種差
ダイオキシンは史上最強の毒物と言われていますが、このような表現は、モルモットを使った実験から得られたものと思われます。ダイオキシンに対する感受性は動物種によって大きく異なり、例えばハムスターは、モルモットと比較して1000倍以上感受性が低い(耐性が高い)とされています。1976年にイタリアのセベソで起こった化学工場の爆発事故によるダイオキシン汚染事件では、我が国の基準の何兆倍とも推測されるほどの超高濃度汚染が起こりましたが、幸いにして死亡した方はおられませんでした。
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6-3 動物種によるETU誘発奇形出現率の差
ラットに対する催奇形性物質を、ラット胎児の100%に奇形を誘発する用量の20倍量マウスに与えても、奇形はほとんど出現しません。種によってかなり感受性が違うといえます。
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6-4 DBCPの優性致死作用の種差
1970年代後半に、アメリカの化学品工場に勤める男性の多くが不妊になり、問題となりました。その後の調査で、その原因物質がDBCP(ジブロモクロロブロバン)であることが明らかになりました。この実験は、マウスとラットを用いた優性致死試験の結果を示したものです。この試験では、オスに化合物を投与して、精子形成過程で突然変異が誘発されるか否かを調べます。私達が実施した試験では、ラットでは優性致死突然変異が高率に誘発されましたが、マウスに突然変異は誘発されませんでした。精巣で精子形成が進行している時にこの化合物の暴露を受けると、減数分裂の中期にある精母細胞に遺伝子突然変異が高率に引き起こされ、この細胞に由来する精子と正常な卵子が受精することにより形成された胎児の多くは、妊娠中期までに死亡してしまいます。ヒトの場合は妊娠の比較的早い時期に流産しますから、男性不妊と診断された方々の配偶者(奥さん)は、妊娠に気づかないうちに流産しておられたと推測されます。この事例では、DBCPの暴露によりヒトとラットでは突然変異が誘発されるが、マウスにそのような異常は起こらないことがわかります。
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 7)化学物質と市民生活
7-1 一般市民は、化学物質の安全性について漠然とした不安を抱いています。しかし、専門家の説明が良く理解できないため、なかなか不安が解消されません。政府関連のホームページにも「最後は皆さんでよく考えて判断して下さい」と書かれていたりして、どうも出口が見つからないようです。一方、毒性学者にとってこの分野の研究は科学的興味に溢れており、研究テーマに事欠きません。このため、一部の専門家はリスク評価本来の目的(市民の健康を守るという)を忘れ、予算獲得のために小さなリスクを針小棒大に喧伝することがあったように感じられます。
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7-2 「学究の科学」と「規制の科学」
私たちがリスク評価を目的に実施しているのは「規制の科学」であって、「学究の科学」とはちょっと異なります。もちろん、私達も様々な分野で「学究の科学」に取り組んでいますが、ことリスク評価に関する限り、 「規制の科学」の原則を守っています。アカデミアに所属する研究者(大学や国立研究所で基礎科学に取り組んでいらっしゃる先生方)の中には、「規制の科学」という分野の存在すらご存知ない方もたくさんおられるようです。だから話がかみ合わないのです。
リスク評価の目的は、消費者安全の担保です。したがって、たくさんの疑問がすべて解明されるまで結論を保留してとことん研究するのではなく、リスク評価に最低限必要な情報を一定の期間内に採取し、分からない部分(不確実性)は予測で補ってでも、一定時間内に大きな誤りのない結論を示さなければなりません。そうしないと、いつまでたっても有効な判断基準を示すことができず、リスクが懸念される物質を合理的に管理することができません。
アカデミックな研究機関は、常に新たな疑問に挑戦しています。そこでは、一つの実験を終えて疑問が一つ解明されると、また新たな疑問が生じます。これは科学の常であり、「学究の科学」の世界では,新たな疑問を解明すべく、また新たな研究が始まります。この繰り返しこそが知を産み出す原動力であり、その価値が高いことに疑問の余地はありません。しかし、リスク評価の世界では、しばしば「学究の科学」を標榜する時間的猶予がありません。様々な化合物のリスクを迅速に評価し、有効で科学的なリスク管理を実施するためには、関係者が「規制の科学」の原則に沿って動く必要があります。
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7-3 ADI設定の原則は、規制の科学における約束事
リスク評価に当っては,個体差に10倍、種差に10倍として、 合計100倍の安全係数を見込みます。すなわち、動物実験で得られた結果をヒトに当てはめる際の誤差を100倍以内と見込んで、動物実験で得られた最大無毒性量の1/100をヒトに対する許容摂取量としているのです。ところで、この100倍という安全率に、科学的根拠はあるのでしょうか?
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7-4 個体差に関する安全係数の妥当性
ごく限られた例外を除けば、個体差に関する安全係数を1/10としても、問題はなさそうです。
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7-5 種差に関する安全係数の妥当性
これまでに実施された催奇形性試験の結果をみると、何らかの動物種を用いた実験で催奇形性が検出された化合物の多くは、別の動物種でも催奇形性を示しています。
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7-6 種差に関する安全係数の妥当性
これまでの経験から様々な化合物の毒性をみると、ダイオキシンのように極端に大きな種差の認められる極一部の化合物を除けば、個体差と種差の合計を1/100とする安全係数の適用は、それで良いと科学的に証明できなくとも、概ね理にかなっていると言えそうです。
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 8)どこまでリスクを減らすのか
 今回のセミナーで繰り返しお話したように、リスクは「大きいか小さいか」と表現するものであって、あるかないか(「1か0か」あるいは「クロ」か「シロ」か)を決めることはできません。健康被害が生ずるような大きいリスクは許容できませんから、この部分は実験的に確かめる必要があります。不確実な領域は、動物実験の結果に基づき、安全係数というマージンを取って管理します。ここまでが規制の科学の領域です。科学的には健康被害の存在を予測する明確な根拠が示せないような領域の問題、例えば、内分泌かく乱物質の低用量影響や遺伝子組み換え作物の有害性問題などは、少なくとも現時点では心理の領域に分類されるべき問題です。ここに科学を持ち込もうとすると、「あらゆる懸念について、それらが存在しないことを証明するまで絶対の安全は得られない」ということになってしまい、どんなに科学が進んでも不安は決して払拭されません。
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 9)「学究の科学」と「規制の科学」の隙間には何が見える?
9-1 内分泌かく乱物質の低用量影響に関する奇妙な実験結果
これまでに「低用量影響を検出した」として報告された実験データをみると、様々な疑問が沸いてきます。動物実験には必ず様々な要因に基づく誤差が存在するので、実験で得られた見かけ上の差がすべて投与した化合物により誘発されたと解釈できるわけではありません。
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9-2 Wistar Hannoverラットを用いて実施したSPEED'98掲載化合物の1世代試験
私達は、環境省に協力して、内分泌かく乱作用が疑われるとされた化合物の低用量影響を、可能な限り精密に評価しました。動物実験の概要は、この図の通りです。
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9-3 調べた化合物と動物への投与用量は、この表に示した通りです。投与量は非常に少ない量の低用量域(単位はマイクログラム/体重kg/日)と通常の毒性試験で用いられるレベル(単位はミリグラム/体重kg/日)の二つに分けて記載してあります。マイクログラムの1000倍がミリグラムです。
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9-4 基礎飼料中における植物エストロゲン濃度の変動
私達は、動物に与えた飼料や飲料水、被験物質を溶解するために使った溶媒について、試験に用いたすべてのロットからサンプルを採取して、試験結果に影響を及ぼす可能性のある植物エストロゲンや汚染物質の含有量を精密に分析しました。この表は、基礎飼料に含まれる植物エストロゲンの含量を示したものです。表からおわかりのように、動物用飼料には様々な種類の植物エストロゲンが栄養素(タンパク)として含まれており、その量は同じ種類の飼料でもロット毎に異なります。動物用飼料は栄養素としてタンパクや脂肪の含有量が一定になるよう配合されてはいますが、タンパク源は豆類であったり魚粉であったりとロット毎にまちまちなので、植物エストロゲンの含有量も決して一定にはなりません。
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9-5 実験動物の飼料に混入するフタル酸エステル類
内分泌かく乱作用が懸念されるフタル酸エステル類も、僅かながら例外なく動物用飼料に混入しており、その量はロット毎に異なることもわかりました。汚染源は、飼料を入れるビニル袋と推定されます。動物用飼料は、添加したビタミン類が変性したり分解したりしないよう、必ずビニル袋に密閉した状態で流通しています。したがって、世界中のどこの生産者から供給される飼料でも、わずかながら必ずフタル酸エステル類に汚染しているものと推測されます。
エストロゲン様作用を持つことが証明されている植物エストロゲンや、そのような作用が懸念される様々な汚染物質を毎回異なる濃度で含有する飼料を動物に与えざるを得ないような環境で実施された動物実験で、飼料に含まれる物質を飼料中濃度より遥かに低い量与えたところで、それらを摂取した動物が対照群の動物と異なる反応を示すとは思えません。
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9-6 環境省プロジェクトの結果
事実、私達の実験では、いずれの物質についても、調べた極低用量域で内分泌かく乱作用は検出されませんでした。しかし、この結果を、短絡的に「内分泌かく乱作用のないことが確認された」と誤解してはいけません。私達は、内分泌かく乱作用が疑われる物質のリスクを評価する上で重要かつ鋭敏な指標について、調べられるものはすべて調べました。しかし、それでもありとあらゆる毒性を調べたわけではありません。したがって、調べられていない指標については、これらのデータを基に予測で補う必要があるのです。これらのデータを解釈する際には、実験を実施した私達だけでなく多くの専門家の意見も伺って、最終的には環境省の検討会で結論を承認していただきました。そのような努力の結果、「これらの物質に、ヒトが実際に暴露を受ける程度の低用量で内分泌かく乱を引き起こす懸念はない」との結論を得たのです。つまり、「調べていない指標についてはわからないが、調べた重要かつ鋭敏な指標に異常がないとの結果をみる限り、リスクは無視できるほどに小さいと考えられる」ということであり、このことは、「我々が実際に暴露されるような用量では、これらの物質に内分泌かく乱作用はない」ということと実質的に同等(リスクは無視できるほどに小さい≒安全である)なのです。このような論理展開は、この分野の専門家ではない方々にとっては、回りくどくて理解しにくいかもしれません。しかし、ここが肝心要の部分ですから,誤解のないよう、頭の中を整理してください。
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9-7 極低用量影響問題に対する対応
今後どのような仮説が提唱されようと、学究の科学による研究成果を待って、冷静に対応すればいいと思います。
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9-8 遺伝子組み換え作物の安全性に関する議論
遺伝子組み換え作物の安全性に関するエルマコヴァ博士の実験は、間違い科学の典型例と言えます。
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9-9 エルマコヴァ博士のデータ
彼女は、これまで経験のない実験を初めて実施したようです。このため、実験の失敗を、遺伝子組み換え大豆の生殖毒性を検出したと誤解しているのでしょう。彼女の論文がどんな雑誌にも受理されないのは、誰かが圧力をかけているのでも嫌がらせをしているのでもなく、データの信頼性が乏しいからです。しかし、一部の過激な消費者団体は、そのような実験結果を「遺伝子組み換え作物の有害性を示す証拠」として喧伝し、一般市民の中にもこのような誤った主張を信じてしまう方がいらっしゃいます。
ここに引用したデータでは、対照群や毒性がないはずの非組み換え大豆を給与された群でも児動物の死亡率が10%前後であり、これらの群では児動物の体重も極めて不均一であることに注意してください。
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9-10 動物を用いる試験では飼育技術がしっかりしていることが前提条件
私達の研究所の実験では、無処置対照群における児動物の生存率は通常99%以上であり、ここに示した最近数年間のデータでは、死亡率が5%に達することはありません。したがって、エルマコヴァ博士の行った実験で対照群や悪影響を及ぼすことがないと予測される大豆を摂取した群でも哺育児の死亡率が10%程度とやや高かったのは、動物の飼育技術に問題があったからと推測されます。
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9-11 動物を用いる試験では飼育技術がしっかりしていることが前提条件
私達の研究所の実験では児動物の体重をみても大きくばらつくことはなく、いずれの試験でも99%以上の個体が「平均値±10%」の範囲内に入っています。したがって、エルマコヴァ博士の実験結果のように、「対照群の個体であっても、大きな個体と小さな個体で体重に2倍以上の開きがある(同じ日齢の哺育児なのに、40グラム以上の個体もいれば、20グラム以下の個体もいる)」というデータがもし得られたら、まずは研究者の実験技術が疑われるのです。
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9-12 エルマコヴァ博士のデータの信憑性
彼女のデータにはまったく信憑性がなく、間違い科学の典型例と思われます。
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 10)賢い市民となるために
10-1 ポイント1
科学や毒性試験には一定の限界があり、一つの実験で何でも分かるわけではありません。しかし、分からないから危険なのではありません。質的に十分信頼の置けるデータを基に、わからないことは合理的な予測で補い、正しいリスク評価を実施することを最優先しましょう。
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10-2 ポイント2
「学究の科学」と「規制の科学」の違いを理解しましょう。「学究の科学」には終わりがありません。規制のためには、合理的な根拠を持って不確実性を補正する「規制の科学」が重要であることを理解しましょう。
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10-3 ポイント3
公表された実験データの信憑性を見抜く観察眼を見につけましょう。GLP試験だからといって、すべてが質の高いデータとは言えません。GLPに準拠したということは、不正のない試験であったことの証明であって、データの質や結果の解釈の正しさを保証するものではありません。また、世の中には、善意の間違い科学や、時には悪意を持った(意図的な)偽科学も存在することを覚えておきましょう。
立派な科学者でも、専門外の分野では素人です。小さなリスクを過大評価してクヨクヨするのではなく、もっと鷹揚に構えて、的確なリスク評価に基づいた実りのあるリスク管理を心がけましょう。
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