当工業会は長年にわたり、手洗い啓発に取り組んできました。社会情勢が激しく変化するなか、日本の衛生の歴史を見直すことで、今後の啓発活動のヒントにしたいと思います。花王(株)で国内外の衛生活動に携わってきた小島さんと徳田さんにお話をうかがいました。
今回は1940〜1970年代を振り返ります。

◇花王(株)は、2018年からベトナムのハノイ医科大学と協働で、清潔・ 衛生習慣の定着を目指す「ベトナム衛生プログラム」にも取り組んでいます
■ GHQの生活改善普及事業
1945年の終戦後、日本はGHQの指導下で『生活改善普及事業』をすすめ、公衆衛生や国民の健康水準を飛躍的に向上させました。戦後の混乱や劣悪な環境を考えると、驚くべきスピードで衛生的な環境を獲得していきました。その秘訣は、法令やインフラの整備だけではなく、GHQが“栄養教育”と“衛生教育”を両輪で取り組む方向性を示し、公務員である生活改良普及員が農村の家庭をまわって、手洗い啓発やトイレの衛生改善などを指導したことです①。この復興期の草の根の活動が、日本の公衆衛生の礎となり、学校における保健教育のあり方にも影響を与えました。
■ 1950年代から1970年にかけての高度成長期
経済白書に「もはや戦後ではない」という言葉が載った1956年、経済は高度成長期を迎えていて、それは東京オリンピック開催後の1970年頃まで続きました②。1950年代に冷蔵庫が発売され、食品を安全に保存しやすくなり、手洗いだった洗たくが洗たく機に変わって、家庭内の衛生環境も変化しました。1961年には国民皆保険の実現により保険医療体制が向上し、'68年には『小学校学習指導要領』が改正されて、学校給食を通して衛生教育を行なうようになりました③。このように、「政策」と「教育」、そして経済成長や科学技術の進歩にともなう「モノ」の3つが同じ時代に充足し始めたことで、近代的な衛生環境がつくられていったと言えます。
■ 日本の衛生の歴史をグローバルに活かす
日本では戦後に、学校で栄養・衛生教育を両輪で行ない、子どもが学んだことを家庭に持ち帰って大人にも伝わる、という流れができました。手洗いの大切さや感染症対策を啓発するうえで、昔も今も学校教育が大きな役割を果たしています。そうした日本の歴史をふまえると、まだ衛生面の課題を多く抱えている海外地域などでの啓発活動にも活かせることが多いと考えています。
(次号 日本の衛生と手洗い教育の歴史[2] へつづく)