■油脂製品と石鹸洗剤の関係
でも、「なんで日本石鹸洗剤工業会と油脂製品が関係あるの?」と思われる人もあるかもしれません。それには、深いわけがあるのです。まずはその素朴な疑問にお答えしましょう。
明治の頃から盛んになった石鹸製造工業は、牛脂を主な原料としていましたが、一方で魚油から硬化油をつくる油脂工業が起こります。この二つの産業は、歴史と技術の変遷の不思議な流れに導かれて、相互にそれぞれ原料を供給しあうという密接な関係で結ばれてきたのです。
つまり、油脂工業は石鹸製造工業に界面活性剤などの原料を提供することになり、石鹸の製造過程から産まれるグリセリンなどはそれ自体が油脂工業の貴重な製品となってきました。
石鹸工業は、日本では明治の文明開化とともに勃興しますが、これより少し遅れて、大正期に芽生えた新しい産業が油脂加工業でした。石鹸工業が家内工業的な色合いを強く残していたのに対し、魚油に水素を添加して硬化する硬化油工業は、大きな資本と技術と近代的な工場を持ってスタートします。
日本で最初の本格的な硬化油製造工場は、実は日本に進出した外資第一号で現地生産の第一号でもあった、イギリスのリーバ・ブラザース社の尼崎工場の建設(明治末期)に始まるといわれています。
油脂の工業的利用は、それを加水分解して脂肪酸とグリセリンにすることからはじまりましたが、その製造能力が向上するにつれて石鹸以外の用途開発をさまざまに模索していく過程で、多くの新しい関連製品を生みながら、油脂資源に乏しかったわが国で中心的な工業に育っていきます。近代工業の黎明期においては国家的重要産業であり、今日のエレクトロニクスにも匹敵するといわれたのが油脂工業だったのです。
■業界も変遷を重ねて
来年で50周年を数える当工業会の歴史もなかなか複雑な経緯を辿っています。昭和25年、日本油脂加工工業会と日本石鹸工業会として始まり、その後この二つが合併して日本油脂工業会となり、さらに日本家庭用合成洗剤工業会ができ、これが合併して日本石鹸洗剤工業会と名称変更されて現在に至ります。それ以前戦前からも、この業界の団体としては統制経済のもとで硬化油販売、グリセリン販売、石鹸配給などさまざまな改組の経緯をたどってきていました。
日本石鹸洗剤工業会の油脂製品部会の背景には、こうした歴史的経緯があります。
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■動物性油脂から植物性へ わが国の油脂の総消費量は292万トンで、用途でいえばそのうちの8割が食用、原料でいえば8割が植物油脂です。非食用油脂の年間消費は40万トン。動物・植物は半々です(98年)。
もともとは油脂原料には、牛脂、豚脂、魚油の動物性のものが使われていましたが、これに’80年代後半頃からやし油、パーム油などの植物性油脂が加わり、その後はこれらの使用量が伸びています。
また、油脂も技術の進歩とともに多様化し、脂肪酸、誘導体などの分野もどんどん広がり、昔ながらの魚油で作った油脂そのものを販売していた時代からは大きく変貌し、従来の油脂化学という枠組みを拡大したオレオケミカルの時代に移っています。
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■世界の動向に注目
日本の油脂化学工業は、もともとグローバル化が早かったといわれますが、最近はまた東南アジアの油脂産出国の工業化が急ピッチで進展しています。それにつれて、日本のメーカーもそれぞれ生産基地を積極的に展開しています。そのため、油脂製品部会の活動も、国際的な視点から、情報を集め、特に安全と安定供給のために、調査・統計の充実・活用と知識の共有化を図ろうとしています。
脂肪酸やグリセリンなどの国内外の需給動向、原料動向を調査したり、世界グリセリン会議を通じてのグリセリンの中長期的展望についての討議や、油脂原料の一つであるやし油・パーム核油の関税障壁を取り除き国際競争力を強化するための活動など、油脂製品部会では積極的な活動を展開しています。