1960 昭和35年
◆日本油脂工業会10周年
◆日本油脂工業会が全日本石鹸協会と共同して、石けんPRの全国キャラバンを開始
- *第16回日本公衆衛生学会で“ラットに対する市販洗剤塗布で死亡例確認報告”があり、合成洗剤有害論の端緒となる
*合成洗剤の生産量が粉石鹸と並ぶ(石けんの生産量がピークに)
1961 昭和36年
◆洗剤メーカー35社を数える
◆油脂工業会館新築のためマーガリン会館に移転(写真は取り壊された旧会館)
- *日本油剤工業会が日本界面活性剤工業会と改称
*日本家庭用合成洗剤工業会発足
*NTV「シャボン玉ホリデー」(牛乳石鹸提供)放送開始
*電気洗濯機200万台突破
1962 昭和37年
◆日本橋の現在地に油脂工業会館が落成し以後活動の拠点となる
- *柳沢文正氏が合成洗剤有害説発表
*食品衛生調査会、中性洗剤毒性問題で厚生省に「洗浄の目的からはなはだしく逸脱しない限り人の健康を損なうことはない」と答申。これにより有害説は否定される
*台所用中性洗剤を粉ミルクと誤って飲み死亡の報道(いわゆる「庵島事件」) その後の試験結果で死因は中性洗剤でないと判断される
*日本油脂協会発足
*界面活性剤の原料となるアルキルベンゼン国産開始
*油脂工業会館ビル完成
*電気洗濯機の一般家庭への普及率45%
1963 昭和38年
◆生産技術、市場開発、財務の常設委員会を設置
- *合成洗剤の生産量(25.8万トン)が洗濯用石けんの生産量(22.5万トン)をしのぐ
*家品法による合成洗剤の品質表示義務化
*工場排水水質基準設定
1964 昭和39年
◆NRA会長が来訪
- *ABS合成洗剤による河川の発泡問題、米国牛脂編成問題が起こる
*浴用石鹸生産量8.1万トンが洗濯石鹸生産量7.0万トンを抜く
*シャンプーが粉末から液体へ移行
*液体衣料用洗剤登場
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